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白の俳句道場風【第十四回】

今回はきいすちゃんの白杯提出句を取り上げていくよ!(

いや、忙しかったとか、書く暇がなかったとか、そういうのではなく、

心の底から忘れていたのだ(一番ダメなやつ

きいすちゃんの投句記事はこちら。

目が覚めてつま先ふれる星月夜

この句に対するきいすちゃんの自句自解

布団からはみ出た足先に感じるひんやりとした空気
夜中にふと感じた秋の訪れを俳句にしてみました。

きいすちゃんの記事より

ほほう、こういう意図だったのか。

よし、

作者の意図はガン無視します😏

俳句というのはその十七音だけで勝負する文芸である。句の背景を書き添えることもあるが、それをしなくとも読者に伝わるように詠むことが大事。

さて、きいすちゃんの句はその力がないかというととんでもない。

この句は印象に残っている一句である。

白的解釈で読み解く

目が覚めてつま先ふれる星月夜
改めて、鑑賞してみよう。

この句の季語は星月夜
とても美しい季語である。
晴れていても月はいつも空に見えるわけではない。例えば満月を過ぎると、月の出がどんどん遅くなり、夜になっても月がないことがある。
そうすると、これまで月明かりで見えにくかった星々までもが、夜空一面に瞬くのだ。
これを星月夜という。
つまり、澄んだ秋空に満天の星のイメージ。
空の広さ、美しさ、清涼な空気、浪漫、そんな映像や思いを内包した季語なのだ。

星月夜(ほしづきよ)三秋

【子季語】
ほしづくよ、星明り
【解説】
月のない星明りだけの夜空を言う。月が出ているように明るい星空である。

きごさいより

では、続いて句の構成を見ていこう。
上五 目が覚めて
この五音で、すでに就寝していたこと、そしてふとしたきっかけで目が覚めてしまった状況を述べている。
中七 つま先触れる
何かにつま先が触れたのである。
それが何かは描かれていないが、私たちは自分の経験から、寝ているときにつま先に何かが触れた経験を触感として思い起こす
そして、
下五 星月夜 の季語に着地する。

この季語を下五に置くことで、わたしたちの心には夜空いっぱいに星が広がり、夜という時間帯、秋の清涼な空気感、そして空いっぱいの星を見上げたときの高揚感や感動をも合わせて浮かび上がってくるのだ。

ところで、何がつま先に触れたのだろうか。
きいすちゃんは、秋の気配をつま先に感じたと解説しているが、俺はこう感じとった。

これは誰かの足先である、と。

作者は共寝をし、そのまま眠っていて、もしかすると布団を奪われでもして、寒くて目を覚ましたのであろう。そして、その時ふと、つま先に相手が触れたのを感じたのだ。
その暗がりの中で、それでも確かに誰かがいる安心感や充足感、そして空気の冷たさに、確かに感じる秋、それを季語「星月夜」に託したのであろう。

共寝をした相手が一体誰なのかで、色句にも、家族の微笑ましい句にもなりそうである😏

ちなみに句にならなかったというこの情景

いつまでも夏をひきずって、暗くなっても公園で遊ぼうとする息子の姿も俳句にしようと思ったのですが、ぜんぜんまとまらなかった…。

きいすちゃんの記事より

薄暗闇に
子供の声

という、詩の断片を残してくれていたのでちょっとお手伝いを。

薄暗闇の時間帯のことを薄暮という。あるいはもっと暗くなっていたら夕闇とかもいいね。そんなふうに季語ではなく時間を描く方法がひとつ。
もう一つは、その時間帯を季語に託す方法。
秋の夕 秋夕焼 秋の暮 秋の宵 こういう季語がある。そうすると、わざわざ薄暗がりと言わなくても読者はイメージしてくれる。
薄暗がりということは、日が沈んでまもなくの頃だとすると、秋の宵かな。
子供の声だと、誰の子でもそういうので、自分の子なら吾子(あこ)というよ。

あとは素直に詠めばいいのだが、正直なところ、季語を除くとあと十二音なので、我が子、帰りたくないという声、公園、という情報は多過ぎるからちょっと諦めなければならない。

例えば

秋の宵帰らぬといふ吾子の声(公園をあきらめる)

公園に居残る吾子よ秋の宵(声をあきらめる)

こんな感じかな。

とっても遅くなってごめんね笑

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