白の俳句道場風【第九回】
今日の俳句は、丸武群ちゃんの白杯提出句。
群ちゃんの俳句はこちら!
旬の果物を生かした二句だ。
柿は無し何はなくとも梨ひとつ
梨を欠き鐘の音もなし柿ひとつ
並べてみてすぐに群ちゃんのコンセプトが韻を踏むことにあると分かる。同じコンセプトなので二句まとめて見ていこう。
柿は無し何はなくとも梨ひとつ
「無し」「梨」という同じ読みを重ねるとともに、柿は「な」し「な」には「な」くとも「な」しひとつ と、リズム良く並んでいて楽しい。
梨を欠き鐘の音もなし柿ひとつ
こちらも同じ。「欠き」「柿」「梨」「なし」という同じ読みを重ねるとともに、「な」しを「か」き「か」「ね」の「ね」も「な」し「か」きひとつ と、複数の音で韻を踏んでいる。
総評
二つの句には、詩人の言葉遊びの詩と同様の楽しさがある。
かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった
谷川俊太郎『ことばあそびうた』より抜粋
これはもうそのコンセプトを音読して十分味わいたい。
その上で、さらに俳句として成立させるなら、解消できる季重なりは解消するといい。群ちゃんはわかった上でやっているのだが、柿、梨はともに秋の季語。素直に一句目を梨、二句目を柿を主役にしよう。
〇〇〇なし何はなくとも梨ひとつ
話とか、なしをさらに重ねるのもアリかなー🤔
〇〇を欠き鐘の音もなし柿ひとつ
鍵🔑とか、やりすぎ?笑
実は韻を踏むところ以外にも工夫がある。「柿ひとつ」「梨ひとつ」という表現だ。
体言止めで終えることによって、ポツンとひとつ置かれた梨、柿の映像が強烈に残る。
季重なりを避けるために、果物をひとつに絞ったが、柿は無し、梨を欠き、とないものをあえて明言することで主役をひきたたせる働きがある。
また、この二句で勝負したのは当然二句のつながりを意識させる意図があるのだろう。
と、すると柿と梨、お互い半分ずつにできず、一個ずつを取り合って別れた二人が、一人は「なにはなくとも梨ひとつがあるじゃないか」と強がり、もう一人は「梨も、鐘の音もなく、あるのは柿がひとつだけか」とぼやいているような、そんな深読みもできそうである。
ちなみに二句目は、柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 という正岡子規へのオマージュであろうことも想像できる。
さすが群ちゃん。遊び心にあふれた二句であった。