【俳句エッセイ】星合
星合よ脳内再生される曲 白月
季語 星合《初秋》
突然ですが、音楽は好きですか?
僕は、多少ギターをしてみたことはあるけれど、Fがクリアに響いてくれないくらいの聴く専です。
さらに、これというジャンルもなく、邦楽洋楽、古今東西、その時々のいわゆる流行曲を幅広く聴いている感じの、「趣味は音楽鑑賞」と言ったものの、何聴くのと言われたら、「えっと…音楽」としか答えられない聴き方です。
そんな僕ですが、いくつかの楽曲というのは昔の記憶とガッチリと結びついていまして、例えば歌詞をワンフレーズ目にしたり、イントロやサビをちょこっと聴くだけで、記憶とともに脳内再生されるんですよね。
考えてみると、大学から社会人なりたてくらいの頃が最も記憶と結びついていて、最近になるにつれて、減ってきます。
中高生時代はラジオとカセットテープでした。お小遣いはなかったので、レコードは手が出ませんでした。専らラジオをとりあえず録音して、音楽ごと聴く感じ。
で、CDが出始めて、それをダビングしてくれる友達にカセットテープ渡してお願いしたり。
大学時代からCDレンタルも流行り出して、バイトも始めて、自分の自由になるお金も少し手に入るようになったので、毎月シングル盤を借りて、お気に入りのテープを作ったりしてました。
社会人になって車に乗るようになると、スカパー契約してミュージックシャワーTVでMDにダビングしたものを、カーオーディオで聴くようになりました。
好きなアーティストのものは新品で、挑戦するものは中古でCDを買うこともしていたので、カーオーディオは、CD,MD兼ねているものを買ってましたね。
今はApple Musicで、これまで聴いたことのなかったアーティストをオススメしてくれるので、スマホに落としておいて、日々さまざまなアーティストの曲を聴くことができるようになりました。
そういうことを思い起こすと、音楽と最も身近になり、なおかつプライベートが濃厚な、大学〜社会人なりたて時代が最も深く記憶と結びついているのも頷ける気がします。
んで、なんでこんな話になったかと言いますと、フォロワーのko-satoruさん
の書いた、この記事がきっかけです。
音楽にまつわる過去の記憶のお話でしたが、そこにチェッカーズの話題がありまして。
お話を読むと、僕もそのCD持ってたなと。僕の場合は大学時代、懐かしさに中古で手に取ったそのCDが、ko-satoruさんにとっては、こんな思い出とともにあるのだなぁと、感慨深く感じ入ったところでした。
記事の中に、
I LOVE YOU だけど SAYONARA
という歌詞の一節が引用されているのですが、この文字列を見た瞬間、チェッカーズの歌うこの歌詞のリフレインと、大学時代カラオケで歌っていた状況と、フラれたばっかりの心境と…そういったものが脳内にドドドッと溢れ出てきました。
脳内再生というフレーズは8音なので、中7が字余りになってしまうのですが、フレーズ自体の力があるのでもうそのまま使っちゃえ、と。
で、合わせる季語ですが、思い起こす記憶って、恋愛に関するものがやっぱり多いので、そういう印象もある季語を使いたいなと。
そんな時に、先日コペルくんwithアヤ先生の記事を読んで、七夕が年に3回っていいよね!と思ったことを思い出しました。
コペルくんwithアヤ先生は、ひな姫さんのところを経由して拝見するようになったのですが、僕に、多面的・多角的な見方を教えてくださる記事が満載で、毎日記事の更新を楽しみにしています。
話がそれちゃいました。季語の話でした。
上述の伝統的七夕の記事を読んで、もう一回七夕の季語を使おうかなと思ったのでした。
前回の記事はこちら
ともに輝く二つ星というのがいい季語だなと選んだものでした。
今回の季語「星合」も、「季語と歳時記」を見ると、子季語がたくさんあって迷いましたが、どうせ脳内再生されるなら、別れより出逢う方がいいかなと考え、上5に合わせて、「星合よ」と、現代語俳句の切れ字「よ」を使ってみたところです。
《季語と歳時記より引用》
ほしあい/ほしあひ
初秋
星迎へ/星逢ふ夜/星の契/星の恋/星の妹背/星の別れ/別れ星/星の閨 七宝枕/星合の浜/星合の空/年の渡り
陰暦の七月七日、牽牛と織姫の二つの星が、天の川を渡ってあうこと。中国の七夕伝説による。
みなさんが、何かの思い出とともに脳内再生する曲って何ですか?