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【歴史雑学1】光る君へと羅生門と

昨日大河ドラマ「光る君へ」が最終回を迎えた。こういうタイミングがあったからこそ、こちらの記事も書ける。と言いつつも、実はずーっと前から書こうとしていた、そんな雑学記事でもあった。以前の理科雑学(次は科学雑学にしよう)に続いて、歴史も語っていこう


   さてさて、紫式部の「源氏物語」は、世界最古の”物語”と言われている。フィクション、というジャンルで一番古いということだ。ん?「三国志演義」とかは?という声もありそうだが(「三国志演義」は創作物である)、あれば宋代の成立だから、それより遥かに古い。元々世界中で「物語」を作る風潮はなかった。書く、というのは歴史や神話を残すためのものだからだ

世界にも誇れる「源氏物語」
内容が光源氏のやたらモテる話で
今の基準だとヒドイ男だったりすることは
とりあえずスルーの方向で。
ただ、この物語が成立したのは
大変に文化的政治的理由がある
そこは機会があればまた触れよう


ここも深堀り出来るところだが、今回はそこはスルーしよう。この記事では「平安時代とはどういう時代?」という話をしたい。もちろん全部語るのは無理だ。が、勉強で覚えさせられたけど、あれはなに?というところを考えてみよう


平安時代というと、今回の大河ドラマのような、貴族文化が華やかなりしころ、というのが大半の方々のイメージだろう。確かにそういう部分はある。が、それはあくまで一面に過ぎない。平安京(つまりは京都)の街並み、大河ドラマでも結構でてきたが………実際はあんなに綺麗じゃない


もう大昔の作品で見たことの無い人が多いだろうが、黒澤明の「羅生門」をご存知だろうか?元々は芥川龍之介の「羅生門」「藪の中」という小説を題材に作られた映画だ。ここで(汚い)老人達がある事件を話す、という作品なのだが、舞台となる羅生門をご覧いただきたい

羅生門のセット
京都の門のひとつということだが
ボロボロなのはわかると思う


もはやまともな状態じゃない。まるで大地震が起きた後みたいだが、こうなったのは短期間では無い。時代は道長の頃なので、まさに大河のころだ。長いこと整備されない……というか放置されたからこの状態になっている。これ、今で言うなら皇居の半蔵門(じゃなくてもいいんだけど)が寂れまくってるのと同じこと。(日本のみならず)普通じゃありえないのは

国にお金がないから

に他ならない


え?じゃあ御所は?うん、あれは確かに綺麗にできてる。でもそれくらいが限界だということでもあるのだ。それだけ”日本”という国は貧乏だった。こう言うと不思議に思う方も多いだろう。藤原摂関家初めとした平安貴族は優雅だったじゃないか、と。その通り、彼らは裕福だった、からこそ藤原道長の息子頼通が建てた平等院鳳凰堂は、日本の優れた建物として国宝になりまた10円玉に神々しく描かれている

めっちゃ美しい平等院鳳凰堂
ここもずーっと見ていて飽きない
が、歴史の現実を知る身としては
なんとも複雑な気持ちにはなる
銀閣も同じ感じ
京都ってそういう意味では切ないな〜


が、同時期の羅生門(これはもちろんフィクションだが)のように、京の都は飢饉その他の影響もあり、とてもじゃないが立派さの欠片もない首都だった。なんでこんな事になってるのだろう?(画像貼ろうとしたけれど、あまりに悲惨なので止めておく。「平安時代 京都 死体」で検索すると色々出てくるので、リアルを見たい方は………)


ここで思い出してもらいたいのが「三世一身法」と「墾田永年私財法」だ。これ、中学でも高校でも歴史の授業でやったはず。テストにも必ず出るような法律である。これ自体は平安より前の奈良時代に出ているのだが、影響がモロに出るのは平安時代からである


”自力で開拓したら土地の所有を認める”という法律。これだけ聞くとまともな話っぽいが、当時日本の国土の全ては天皇家の、つまり国家のものであった。あくまで”使わせてもらう”という形だからこそ、税金(当時は租庸調)として朝廷が全て得る形、つまりは中央集権国家となっていたわけだ。これを一部でも変えたのが2つの法なのだが、世の中一度変え始めると急速に変化は進む


ある程度の力があるだけでは支えきれない為、寄進などで有力公家衆や寺院勢力などに土地は集まる。この私有地の事を「荘園」と呼ぶ訳だが、土地土地がどんどんと私有化されていき公領、つまり国の土地はどんどん減ってしまった。しかも平安時代は「軍隊を廃止していた」ときでもある(正確に言えば「国軍」は江戸幕府滅亡まで現れない)。他の国でも同じだが、当時は軍隊が警察や消防、その他諸々も兼ねていたので、その全てを「放棄」した無謀時代でもある


そこで現れたのが武士なのだ。だって所有してるものがあれば、奪う輩も出てくるのが世の常だ。警察がないなら尚更だろう、捕まらないんだし。それじゃたまったもんじゃないから、自分たちで武装していくのは当然のことだ。つまり最初の武士は自らを守るため、また他人から奪うために現れた。もちろん公的な身分では無いから………今でいえば反社会的勢力である

平将門
器のデカイ組長みたいな人物だった
だからこそ調停に入っていろいろ収めようと
したのだが、結果暴走することになった
もちろん彼を討ったのも武士である

が、公家達もこれを率先して利用していく。本来なら取り締まるべき対象なのだが、そもそも武力がないのだから武装組織と戦うすべもない。だから戦いは彼らの仕事では無いし、関心事でもない。「光る君へ」の最終盤「刀伊の入寇」を描いていたが、公家衆が恩賞を与えないというシーンがあった。あれは大変に平安時代らしい。いかに本来的意味での「政治」が行われていないかがよく分かる


当時の公家は言霊こそ大切とした、だから短歌が好まれたのだ。文化としては素晴らしいが、現実政治に持ち込んではいけないことは、誰の目にも明らかだろう。実際刀伊という外患に対しても、歌をうたい願っていれば去っていくと思っていたというのだから。その後の元寇でも同じことが行われ、朝廷は祈祷だので解決できるとした(だから元軍が撤退した後鎌倉幕府に金品の要求までしている)のだから、呆れ果ててしまう

優美だし優雅だが他にやることあるだろう
そう感じずにはいられない平安の模様
今日の名言その1で触れたように
「人は見たいようにしか見ない」の
典型例だと思う


平安時代は名前こそ派手やかだが、その後に繋がるあらゆる問題が噴出した時代だ。文化こそ成熟されたものの、それ以外では武士の台頭、寺社勢力の横暴、民衆の貧困化などなど、とんでもないことが起こり続けた。大河を完走した方は特に改めて考えて欲しいが、今で言う政治を道長はじめ公家達はしていただろうか?誰を天皇につけ、誰を妃とするかなどがほとんどであり、実際の政治はほぼしていなかっただろう


実際学校で教わる「摂関家」と「武士の台頭」、本来は同時進行であって、摂関政治の後に武士が出てきているわけじゃない。平将門の乱などは道長よりだいぶ前に起きた事件である。こうしたところが学校教育の穴であり、本質が分からなくなる部分だ

「光る君へ」のワンシーン
この頃京都以外はかなり荒れてたりする
もちろんこんないい服を着れる人はまずいない


貴族文化などは大変に日本らしく、独自の文化を形成した素晴らしいものではある。と同時に現実世界にまともに関与しなかったからこそ生まれたものでもあるのだ。物事には必ずメリットデメリットがあるし、長所と短所がある。だからこそ歴史に学ぶ必要もあるだろう


本来学校で教えて欲しいところだが、受験用の勉強となっているためなかなか本質は捉えきれない。だがきちんと聞けば現代にも通じることを学べるとわかるだろう。政治家は自分達の事しか考えないようではダメだし、税金もきちんと徴収する必要はあるし。もちろん重税はもってのほかだが、何も無ければ国の門も直せない。当然ながら警察や軍隊などの重要性も言わずもがなだ

今のシステム
もちろん完全に上手くいってるわけはないが
過去の失敗の改善などはされている
それでも完全なものは決してできないが
”完全を目指す”ことはできる


歴史とは常に成功と失敗の連続だ。そこから見えるものは必ずある。時代が変わっても我々人類はまだ進化していないのだから。今までの出来事を少しでも活かすことができたら……少しはより賢くできると私はそう思っている

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