徳川家康を祀る日光東照宮をご紹介
戦国の世を終わらせ、265年という長く平和な時代の基礎をつくりあげた江戸幕府初代将軍徳川家康さん。
その家康さんが主祭神として祀られているこの東照宮をご紹介したいと思います。
東照宮は。「日光の社寺」として、1999年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
鳥居をくぐり奥に進むにつれて目にする建物の豪華さや華やかさには思わず絶句しまうくらい。
特に陽明門を下から見上げると神々しさを感じるくらいの眩しさです。
このような趣向を凝らした建物は今まで見たことありませんでした。
それぞれの装飾にも意味や特徴があり、「見ざる、聞かざる、言わざる」で有名な人の一生を象徴した「三猿」や江戸時代の名工、左甚五郎さんの作品と伝わる「眠り猫」も観ることができました。(写真7、8枚目)
境内入口にたつ高さ9メートルを超す石鳥居は黒田長政さんが、四方に三体ずつ十二支が描かれた赤・緑・金の配色が見事な五重塔は、小浜藩主の酒井忠勝さんが奉納しました。
ちなみに五重塔は一度消失したため、現在のあるものは1818年に同じく小浜藩の酒井忠進さんによって再建されたようです。
家康さんは死後、息子である二代将軍秀忠さんにより、自身の遺言に基づいて久能山に納められ、翌年の1617年に日光へ改葬されました。
改葬の際には、「日光山に小さな堂を」という家康さんの遺言通り華美でない「東照社」という社が建てられたといわれています。
ちなみにこの改葬にあたり、神号を巡って、家康さんのブレーンであった2人の僧、天海さんと以心崇伝さんの間で激しい論争が繰り広げられたといわれています。
天海さんは山王一実神道で祭ることで「権現」を、以心崇伝さんは吉田神道で祭ることで「明神」を互いに主張し合いました。
結果は、天海さんの提言が採用され「東照大権現」に決定します。
理由は、「豊臣大明神」の神号を贈られた豊臣秀吉さんの一族がその後大坂の夏の陣により滅亡したことから、それと同様の神号だと不吉だったからともいわれています。
その後、祖父である家康さんを崇敬していた三代将軍家光さんの号令で全国より名工が集められ、現在のような豪華絢爛な社殿へと大造替されました。
大改修は1636年に完了し、その9年後の1645年には朝廷から宮号が授与され「東照宮」に改称されました。
ただ、遺体がここに納められているかどうかは、議論がわかれるところらしいです。