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「お城と歴史を語る」

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ゆうさいが大好きなお城や人物などの歴史をまとめてご紹介しています。 また主宰するお城や歴史に関するイベントなどについての語りも掲載してます。
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#最近の学び

薩摩藩の大規模防衛拠点、外城「出水麓武家屋敷群」をご紹介

薩摩藩の大規模防衛拠点、外城「出水麓武家屋敷群」をご紹介

こんにちは、ゆうさいです。

今回は、鹿児島に行った際にはぜひ足を運んでもらいたい鹿児島出水市にある「出水麓武家屋敷群」をご紹介します。

この地域にある武家屋敷へ入ると、囲炉裏や台所などがそのままの形で遺されており、江戸時代の薩摩武士の生活を身近に感じることができます。

石垣が連なった武家屋敷が道を挟んで整然と並んでおり見応え充分。
過去に知覧でみた武家屋敷群を思い出しました。

薩摩藩では、

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摂津国池田氏の大城郭、「池田城」をご紹介

摂津国池田氏の大城郭、「池田城」をご紹介

こんにちは、ゆうさいです。

鎌倉時代の古文書にもその名が記されているほど歴史が古く、一時は摂津国の有力国人として強大な勢力を誇った摂津池田氏。

その池田氏が本拠としてきた池田城をご紹介します。

以前からどんな場所に築かれているのか気になっていたお城でしたが、摂津の有力国人の城だけに、山の尾根を利用した台地の見晴らしの素晴らしい場所に築かれていました。

城の主郭部分は、現在は城跡公園として綺

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徳川家康を祀る日光東照宮をご紹介

徳川家康を祀る日光東照宮をご紹介

戦国の世を終わらせ、265年という長く平和な時代の基礎をつくりあげた江戸幕府初代将軍徳川家康さん。

その家康さんが主祭神として祀られているこの東照宮をご紹介したいと思います。

東照宮は。「日光の社寺」として、1999年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。

鳥居をくぐり奥に進むにつれて目にする建物の豪華さや華やかさには思わず絶句しまうくらい。
特に陽明門を下から見上げると神々しさを感じ

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日本三大山城のひとつ「備中松山城」をご紹介(後編)

日本三大山城のひとつ「備中松山城」をご紹介(後編)

こんにちは、ゆうさいです。
今回は、前編に続き備中松山城の後編をご紹介します。
前編をまだ読まれていない方は、まずはこちらからご覧ください。

関ヶ原の戦いで西軍として敗北した毛利氏が減封となると、この地は幕府の直轄領となり、関ヶ原の戦いの功績で小堀正次さんが備中の代官として入城しました。

正次さんの妻は、浅井家の勇将で姉川の戦いで「員昌の姉川十一段崩し」の逸話を遺した磯野員昌さんです。

そし

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日本三大山城のひとつ「備中松山城」をご紹介

日本三大山城のひとつ「備中松山城」をご紹介

日本三大山城のひとつに数えられる備中松山城。

昨年の2月に「城あそびオンライン講座」で高梁市さんのご協力のもと、この城をテーマにご講演いただきました。

その時に得た知識をもとに備中松山城へ登城したくなり、この度あらためて行ってきましたのでご紹介したいと思います。

実は、備中松山城へはこれで3度目の登城。

1度目は20年以上前になりますが、まだ整備があまりされていない時代だったため、途中に何

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大坂の抑えの大城郭「尼崎城」をご紹介

大坂の抑えの大城郭「尼崎城」をご紹介

こんにちは、ゆうさいです。

復元された後も、なかなか足を運べていなかった尼崎城。
この度、阪神電車へ乗り継いで、やっと登城してきましたのでご紹介したいと思います。

尼崎城は大坂の西の抑えとして、甲子園球場の約3.5倍の広さに加え、3重堀や4層の大天守があったということからも、幕府がいかにこの城を重要視していたかがよくわかります。

当時の絵地図をみていると、城あそびオンライン講座で学んだ今治城

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国生み神話の淡路島を守る「洲本城」をご紹介

国生み神話の淡路島を守る「洲本城」をご紹介

瀬戸内海に浮かぶ淡路島。
離島の中では最大の人口を誇るこの島は、日本最古の歴史書「古事記」の冒頭にも出てくる「国生み神話」にも登場します。

おのころ島で夫婦になったイザナミノミコトとイザナギノミコトが日本列島の島々を次々とつくっていきますが、その中で最初につくられた島がこの淡路島。
そう考えると、めっちゃスピリチュアルな島ですよね。

そんな神秘的な島を守る城のひとつとして後に築かれたのが、今回

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難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(前編)

難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(前編)

こんにちは、ゆうさいです。

九州の中央部に位置し、難攻不落の名城と謳われた岡城。

現地に赴くと、想像を超えた場所に立派な石垣群に驚かされます。

今回は、そんな岡城をご紹介します。

岡城は、現在の大分県竹田市にあります。

築城は、平安末期の1185年。
この地を領有していた緒方三郎惟栄さんが始まりといわれています。
しかも築城の理由が、源頼朝さんに追われた牛若丸こと源義経さんを匿うためとい

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甲斐武田家の三代の居館 躑躅ヶ崎館をご紹介(後編)

甲斐武田家の三代の居館 躑躅ヶ崎館をご紹介(後編)

一時は武田家最大版図を広げた武田勝頼(たけだかつより)さんでしたが、徐々に織田氏に追い詰められ、最後には嫡男の信勝さんと天目山で自刃し武田家は滅亡します。

その後、躑躅ヶ崎の館へは織田信長の家臣の河尻秀隆(かわじりひでたか)さんが居館とし政務を執ったといわれています。
※でも、本拠は岩窪館だったという異説もあるようです。

しかし武田家の滅亡後の混乱がまだ収まっていない甲斐では、1582年に起こ

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徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(後編)

徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(後編)

1570年、家康さんは豊臣秀吉さんより小田原征伐の功績として、関八州を与えられたことにより江戸へと移ります。

家康さんの後には、秀吉の家臣である中村一氏(なかむらかずうじ)さんが駿府城へ入城。
その後、この中村氏は、関ヶ原の戦いでは家康側の東軍に属した功績により子の一忠さんは米子へ加増転封となったため、駿府城には家康さんの異母弟でもある内藤信成(ないとうのぶなり)さんが城主として入りました

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徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(前編)

徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(前編)

駿府と聞いて一番に思い浮かべるのは戦国武将は、私の場合は今川義元(いまがわよしもと)さん。

でもこの駿府は、徳川家康さんが人質として幼少期を過ごし、隠居後に江戸から移り住むために城を大規模に拡張工事したことでも有名です。
現在の駿府城では、その頃の天守台の跡が発掘されていて、そこから当時の天守の巨大さをうかがい知ることができるようになりました。

多分、この巨大な駿府城の敷地内にあったのでしょ

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芸術的な障子堀を持つ山中城をご紹介(後編)

芸術的な障子堀を持つ山中城をご紹介(後編)

こんにちは、ゆうさいです。
今回も前編に続き、山中城をご紹介したいと思います。

後編は山中城で繰り広げられた戦いの様子を中心にお伝えしたいと思いますので、前編をまだご覧になられていない方はぜひこちらから先に読んでください。

北条早雲さん以降、関東で一大勢力に発展した北条氏。
しかし、3代目当主の氏康さんの死後状況は大きく変わってきます。

氏政さん、氏直さん親子の、後陽成天皇の聚楽第行幸への列

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芸術的な障子堀を持つ山中城をご紹介(前編)

芸術的な障子堀を持つ山中城をご紹介(前編)

おはようございます、ゆうさいです。

私の行ってみたい城の上位にランクインしていたお城、山中城。
今回は、そんな山中城に行った時の感想を含めご紹介したいと思います。

戦国時代、関東に大きな勢力を築いた後北条氏。
そんな後北条市の魅力のひとつに、土木技術の高さが挙げられます。
そんな技術が惜しげもなく生かされたお城のひとつにこの山中城も含まれます。
特にこの山中城のアーティスティックな障子掘を見た

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松本城の黒歴史「加助騒動」をご紹介

松本城の黒歴史「加助騒動」をご紹介

こんばんは、ゆうさいです。

今回は松本城の番外編となる、松本城の黒歴史をご紹介したいと思います。

松本城にも様々な伝説や逸話が残っていますが、今回は「加助騒動(享貞騒動)」を取り上げてお伝えします。

加助騒動とは、1686年に多田加助(ただ かすけ)さんという元庄屋を筆頭にして、松本藩で起こった百姓一揆です。

当時の城主は、信濃松本藩の三代目城主、水野忠直(みずのただなお)さん。

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