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「お城と歴史を語る」

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ゆうさいが大好きなお城や人物などの歴史をまとめてご紹介しています。 また主宰するお城や歴史に関するイベントなどについての語りも掲載してます。
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#歴史

多用した石垣が見事な城 太田金山城をご紹介

多用した石垣が見事な城 太田金山城をご紹介

こんにちは、ゆうさいです。

今回は、関東七名城のひとつに数えられる「太田金山城」をご紹介したいと思います。

この城は、「戦国時代の関東の山城には本格的な石垣でつくられた城はない」という従来の定説を、がっつり覆したほど石垣を多用した城としても有名です。

現地に足を運ぶと、広範囲に整然と石垣が築かれているその迫力に目を奪われます。

この太田金山城は、標高235mの金山に築かれています。

この

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村上海賊の城「能島城」をご紹介

村上海賊の城「能島城」をご紹介

こんにちは、ゆうさいです。

過去に一度近くまで訪問したものの、台風による影響により上陸を阻まれた城「能島城」。

ついにこの度、初上陸を成し遂げましたので、この機会にご紹介したいと思います。

能島城は、戦国時代に村上水軍と呼ばれた能島村上氏が瀬戸内海の交通の要衝を抑えるために要塞化した島です。
この村上氏は、ここを通行する船を安全に送り届けるための保障を主にビジネスとして栄えていました。

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東海道と内陸部を抑える要衝「水口岡山城」をご紹介

東海道と内陸部を抑える要衝「水口岡山城」をご紹介

こんにちは、ゆうさいです。

今回は、以前「ブラタモリ」という番組でこの城と城下町との関わりについての特集がされているのを観て興味を持った城「水口岡山城」をご紹介します。

水口岡山城は、滋賀県甲賀市の北に位置する大岡山という街道を見下ろせる山頂に築かれています。

この城は、羽柴秀吉さんが東海道と内陸部を抑える軍事・交通の要衝であるこの地の支配を重視したことから、後に豊臣政権を支える重臣となる中

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上杉謙信を何度も撃退した堅城 唐沢山城をご紹介

上杉謙信を何度も撃退した堅城 唐沢山城をご紹介

こんにちは、ゆうさいです。

今回は、関東七名城のひとつで以前から行ってみたかった城、唐佐和山城をご紹介したいと思います。

この城には、こんなエピソードが残されています。
城主が江戸の方角を見ていると、火災が起こっているのを発見します。
驚いた城主は早馬で江戸城へ駆けつけますが、そのことが「江戸を見下ろせる危険な城」として将軍徳川家康さんの不興を逆に買ってしまい廃城に至ったという悲しい話です。

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徳川家康を祀る日光東照宮をご紹介

徳川家康を祀る日光東照宮をご紹介

戦国の世を終わらせ、265年という長く平和な時代の基礎をつくりあげた江戸幕府初代将軍徳川家康さん。

その家康さんが主祭神として祀られているこの東照宮をご紹介したいと思います。

東照宮は。「日光の社寺」として、1999年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。

鳥居をくぐり奥に進むにつれて目にする建物の豪華さや華やかさには思わず絶句しまうくらい。
特に陽明門を下から見上げると神々しさを感じ

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日本三大山城のひとつ「備中松山城」をご紹介(後編)

日本三大山城のひとつ「備中松山城」をご紹介(後編)

こんにちは、ゆうさいです。
今回は、前編に続き備中松山城の後編をご紹介します。
前編をまだ読まれていない方は、まずはこちらからご覧ください。

関ヶ原の戦いで西軍として敗北した毛利氏が減封となると、この地は幕府の直轄領となり、関ヶ原の戦いの功績で小堀正次さんが備中の代官として入城しました。

正次さんの妻は、浅井家の勇将で姉川の戦いで「員昌の姉川十一段崩し」の逸話を遺した磯野員昌さんです。

そし

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日本三大山城のひとつ「備中松山城」をご紹介

日本三大山城のひとつ「備中松山城」をご紹介

日本三大山城のひとつに数えられる備中松山城。

昨年の2月に「城あそびオンライン講座」で高梁市さんのご協力のもと、この城をテーマにご講演いただきました。

その時に得た知識をもとに備中松山城へ登城したくなり、この度あらためて行ってきましたのでご紹介したいと思います。

実は、備中松山城へはこれで3度目の登城。

1度目は20年以上前になりますが、まだ整備があまりされていない時代だったため、途中に何

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大坂の抑えの大城郭「尼崎城」をご紹介

大坂の抑えの大城郭「尼崎城」をご紹介

こんにちは、ゆうさいです。

復元された後も、なかなか足を運べていなかった尼崎城。
この度、阪神電車へ乗り継いで、やっと登城してきましたのでご紹介したいと思います。

尼崎城は大坂の西の抑えとして、甲子園球場の約3.5倍の広さに加え、3重堀や4層の大天守があったということからも、幕府がいかにこの城を重要視していたかがよくわかります。

当時の絵地図をみていると、城あそびオンライン講座で学んだ今治城

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国生み神話の淡路島を守る「洲本城」をご紹介

国生み神話の淡路島を守る「洲本城」をご紹介

瀬戸内海に浮かぶ淡路島。
離島の中では最大の人口を誇るこの島は、日本最古の歴史書「古事記」の冒頭にも出てくる「国生み神話」にも登場します。

おのころ島で夫婦になったイザナミノミコトとイザナギノミコトが日本列島の島々を次々とつくっていきますが、その中で最初につくられた島がこの淡路島。
そう考えると、めっちゃスピリチュアルな島ですよね。

そんな神秘的な島を守る城のひとつとして後に築かれたのが、今回

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難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(前編)

難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(前編)

こんにちは、ゆうさいです。

九州の中央部に位置し、難攻不落の名城と謳われた岡城。

現地に赴くと、想像を超えた場所に立派な石垣群に驚かされます。

今回は、そんな岡城をご紹介します。

岡城は、現在の大分県竹田市にあります。

築城は、平安末期の1185年。
この地を領有していた緒方三郎惟栄さんが始まりといわれています。
しかも築城の理由が、源頼朝さんに追われた牛若丸こと源義経さんを匿うためとい

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難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(後編)

難攻不落と謳われた九州の名城 岡城をご紹介(後編)

こんにちは、ゆうさいです。
前編に続き、今回も岡城の後編をご紹介します。
前編がまだの方は、こちらからぜひご覧ください。

「文禄の役」と呼ばれる豊臣秀吉による朝鮮出兵の翌年の1594年。
岡城には播磨国三木城の城主だった中川秀成さんが7万4千石の所領が与えられて入城しました。

秀成さんは、摂津国茨木城主だった中川清秀さんの次男です。
兄の秀政さんが「文禄の役」の最中に鷹狩りを行い、その

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甲斐武田家の三代の居館 躑躅ヶ崎館をご紹介(後編)

甲斐武田家の三代の居館 躑躅ヶ崎館をご紹介(後編)

一時は武田家最大版図を広げた武田勝頼(たけだかつより)さんでしたが、徐々に織田氏に追い詰められ、最後には嫡男の信勝さんと天目山で自刃し武田家は滅亡します。

その後、躑躅ヶ崎の館へは織田信長の家臣の河尻秀隆(かわじりひでたか)さんが居館とし政務を執ったといわれています。
※でも、本拠は岩窪館だったという異説もあるようです。

しかし武田家の滅亡後の混乱がまだ収まっていない甲斐では、1582年に起こ

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徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(後編)

徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(後編)

1570年、家康さんは豊臣秀吉さんより小田原征伐の功績として、関八州を与えられたことにより江戸へと移ります。

家康さんの後には、秀吉の家臣である中村一氏(なかむらかずうじ)さんが駿府城へ入城。
その後、この中村氏は、関ヶ原の戦いでは家康側の東軍に属した功績により子の一忠さんは米子へ加増転封となったため、駿府城には家康さんの異母弟でもある内藤信成(ないとうのぶなり)さんが城主として入りました

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徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(前編)

徳川家康の隠居城、駿府城をご紹介(前編)

駿府と聞いて一番に思い浮かべるのは戦国武将は、私の場合は今川義元(いまがわよしもと)さん。

でもこの駿府は、徳川家康さんが人質として幼少期を過ごし、隠居後に江戸から移り住むために城を大規模に拡張工事したことでも有名です。
現在の駿府城では、その頃の天守台の跡が発掘されていて、そこから当時の天守の巨大さをうかがい知ることができるようになりました。

多分、この巨大な駿府城の敷地内にあったのでしょ

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