シェア
ゆうさい
2021年7月3日 10:55
こんにちは、ゆうさいです。今回は、北陸街道から美濃街道の間に位置する大野盆地に築かれた城、越前大野城をご紹介したいと思います。越前大野城がある場所は、現在の地名でいうと福井県大野市になります。1575年9月に越前一向一揆を平定した織田信長は、家臣へ恩賞としての国割をおこなっていきました。その中で、越前大野郡領の2/3にあたる3万石を金森長近(かなもりながちか)さんに、1/3を原長頼(は
2021年5月22日 07:18
こんばんは、ゆうさいです。実は先週から左上の歯が痛いんです。痛みの種類は、ズキズキというよりも痛痒いような鈍い疼き…。以前、反対の右側の奥歯に根尖病巣(歯の根っこに炎症がおきる病気)ができていて治療を行ったことがあり、その時も同じような痛みだったのを思い出しました。この病気の原因は、以前おこなった根尖治療(歯の根っこの治療)が不十分だったことによる影響が多いようです。痛みの種類が同
2021年5月20日 07:19
今回は、前回投稿した掛川城の後編をお届けします。まだ前編を見られていない方は、できましたら下記よりご覧いただいた上でお読みいただければ幸いです。掛川城は徳川の大軍に囲まれながらも、朝比奈泰朝(あさひなやすとも)さんは掛川城で氏真さんを守り懸命に戦います。この攻防戦は5ヶ月にもわたり行われましたが多勢に無勢。ついに主君である氏真さんの身の保全を条件に徳川軍と和議が結ばれ、1
2021年5月17日 18:17
今回は、新幹線からもはっきりその存在を確認できるお城、掛川城をご紹介したいと思います。この掛川城、築城は1473年頃で、駿河国守護の今川義忠(いまがわよしただ)さんが遠江進出の足掛かりとして、重臣の朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)さんに築かせたのがはじまりといわれています。でもこの時の城は、今は「掛川古城」と呼ばれていて、現在ある掛川城の北東約500mの位置にありました。現在
2021年5月13日 17:58
こんばんは、ゆうさいです。今回は前回の投稿の後編です。まだ前編を読まれていない方は、前編を読んでからのほうがわかりやすいので、まずはこちらをお読みください。~前回からの続き~福井城の築城が完成し、その北側に城下町を新しくつくろうと動いていた矢先、結城秀康さんは死去してしまいます。享年24歳という若さでの急逝でした。秀康さんの死後は、嫡男の忠直さんが跡を継ぎ二代藩主となりました。
2021年5月6日 05:34
越前の名門朝倉氏が11代にわたり居城とした一乗谷は、東西の幅が500m、南北3kmの谷底にある平野に居館を築きました。谷の入口部分には土塁を築いて城門が作られ、京に近い南側は上城戸、北側は下城戸と呼ばれています。この間の約1.7kmには、朝倉氏の居館や侍屋敷などが作られ、一大城下町が形成されていたんです。当時応仁の乱で京の町は荒廃していたので、多くの公家や高僧・文人が避難してきたことで
2021年4月30日 20:49
こんばんは、ゆうさいです。今回も引き続き、金沢城の歴史をご紹介します。前回の投稿の後編となりますので、まだ前編を読まれていない方は、こちらを先に読まれるとわかりやすいのでぜひどうぞ。加賀前田家2代目となる前田利家さんの嫡男利長さんは、土塁の城壁部分にことごとく塁石を築き、また山間を切り抜き地中に陰樋を設けて水を引いていきました。現在の百間堀とも呼ばれる蓮池堀は、佐久間盛政さんの手
2021年4月29日 21:20
石川県金沢市にある金沢城は、「石垣の博物館」と呼ばれるくらい石垣の種類の多さやその美しさは有名です。お城を一周するだけで様々な年代につくられた石垣や積み方が観れるので、それだけで楽しんでいただけます。今回は、そんな金沢城の歴史をご紹介します。金沢城の前身は、加賀一向一揆の本拠となった金沢御坊(かなざわごぼう)です。別名、金沢御堂(かなざわみどう)または尾山御坊(おやまごぼう)と呼は