シェア
ゆうさい
2021年6月18日 21:16
こんばんは、ゆうさいです。今回が広島城の後編です。まだ前回の「中編」をお読みでなければ、事前にこちらを読んでいただいてから「後編」へお進みください。1619年、福島氏が転封となった入れ替わりで、広島城には外様の雄藩、紀州浅野家が42万6千石で移封されました。この時の城主は、浅野長晟(あさのながあきら)さん。徳川家康さんの女婿です。広島城は、以後明治維新までの約250年間この浅野家12
2021年6月15日 21:54
こんばんは、ゆうさいです。今回は、広島城の中編です。前編をまだ読まれていない方は、ぜひ事前にこちらを読んでから後編をお楽しみください。1591年、ついに広島城天守が完成し、1月には輝元さんが入城します。家臣団も続々と割り当てられた土地に屋敷を構え、商人も呼び寄せていたので城下町はみるみるうちに形成されていきました。その翌年の4月には、「文禄の役」を指揮するために名護屋城へ向かう途
2021年6月12日 17:41
広島城は、広島市を流れる太田川の河口に発達した中州に築かれた中国山陽路最大の城郭でした。そしてあまり知られてはいませんが、広島城は1931年に天守閣が一度「国宝」にも指定されているんです。そう、B29により原爆を投下されるまでは。この事実を多くの人にも知ってほしいという想いを込めて、今回は広島城の叫びと歴史をご紹介します。この城を築いたのは、最盛期に中国・四国・九州にまで版図を広げた
2021年6月9日 22:25
こんばんは、ゆうさいです。仕事でたまたま取引先の方と話をしていた際に、同じ歴史好きだということがわかりかなり話が盛り上がった。その盛り上がりのきっかけというのが、皆さんお馴染みの歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」。私の場合は、初代「信長の野望」からスタートして、「武将風雲禄」というシリーズまでどっぷりはまってやってました。今回は、この「信長の野望」というゲームが、どれだけ素晴ら
2021年6月7日 22:32
こんにちは、ゆうさいです。今回がいよいよ浜田城の最終章(後編)です。中編をまだお読みではない方は、こちらを先にお読みください。仙石騒動でごった返した浜田藩ですが、またまた大きな事件を起こしてしまいます。後年に「竹島事件(たけしまじけん)」と呼ばれることになる密貿易事件です。借金に苦しむ藩財政を立て直すため、藩の御用商人だった廻船問屋の会津屋八右衛門さんが、李氏朝鮮との密貿易を提案
2021年6月5日 15:56
こんにちは、ゆうさいです。今回も前編に引き続き、浜田城の歴史をご紹介ます。前編をまだ読まれていない方は、ぜひこちらからまずは前編を読んでみてください。古田家が跡継ぎ不在により改易となると、浜田城には1649年に播磨国の山崎藩から松平康映(まつだいらやすてる)さんが入城します。康映さんの後もこの松平氏が続きますが、3代藩主の康員(やすかず)さんが病弱の上、養子だった康房(やすふさ)さん
2021年6月3日 05:22
浜田城は、島根県浜田市北側の松原湾近くの、海抜70mほどの山上にあります。この城は、1619年に古田重治(ふるたしげはる)さんが、徳川頼宣(とくがわよりのぶ)さんの和歌山転封にともなって、伊勢松坂藩より5万4000石に国替えとなった後、約9ヶ月という期間をかけて築城したお城です。浜田城完成した3年後の1626年にスペインの宣教師ディエゴ・デ・サン・フランシスコは、この浜田の地を「非常によい
2021年5月29日 17:52
こんいちは、ゆうさいです。前回までの丸岡城の歴史の番外編として、伝説もひとつご紹介したいと思います。「人柱 お静 伝説」※鬼滅の柱の物語ではありません。1576年、越前国をおさめていた織田家臣、柴田勝家(しばたかついえ)さんの指示で、その甥の柴田勝豊(しばたかつとよ)さんが丸岡城を築こうとしていました。ところが、天守の石垣を何度積んでも積んでも崩れてしまい、一向に築城が進み
2021年5月26日 11:23
こんばんは、ゆうさいです。今回は前回の投稿の後編です。まだ前編を読まれていない方は、前編を読んでからのほうがわかりやすいので、まずはこちらをお読みください。~前回からのつづき~丸岡城代となっていた青山宗勝さんは、主君として仕えた丹羽長秀さんが死去すると、そのまま豊臣秀吉さんの家臣となり越前に2万石が与えられました。さらに九州平定への従軍や伏見城の普請にも功績を挙げ、遂には越前丸岡
2021年5月22日 07:18
こんばんは、ゆうさいです。実は先週から左上の歯が痛いんです。痛みの種類は、ズキズキというよりも痛痒いような鈍い疼き…。以前、反対の右側の奥歯に根尖病巣(歯の根っこに炎症がおきる病気)ができていて治療を行ったことがあり、その時も同じような痛みだったのを思い出しました。この病気の原因は、以前おこなった根尖治療(歯の根っこの治療)が不十分だったことによる影響が多いようです。痛みの種類が同
2021年5月20日 07:19
今回は、前回投稿した掛川城の後編をお届けします。まだ前編を見られていない方は、できましたら下記よりご覧いただいた上でお読みいただければ幸いです。掛川城は徳川の大軍に囲まれながらも、朝比奈泰朝(あさひなやすとも)さんは掛川城で氏真さんを守り懸命に戦います。この攻防戦は5ヶ月にもわたり行われましたが多勢に無勢。ついに主君である氏真さんの身の保全を条件に徳川軍と和議が結ばれ、1
2021年5月17日 18:17
今回は、新幹線からもはっきりその存在を確認できるお城、掛川城をご紹介したいと思います。この掛川城、築城は1473年頃で、駿河国守護の今川義忠(いまがわよしただ)さんが遠江進出の足掛かりとして、重臣の朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)さんに築かせたのがはじまりといわれています。でもこの時の城は、今は「掛川古城」と呼ばれていて、現在ある掛川城の北東約500mの位置にありました。現在
2021年5月6日 05:34
越前の名門朝倉氏が11代にわたり居城とした一乗谷は、東西の幅が500m、南北3kmの谷底にある平野に居館を築きました。谷の入口部分には土塁を築いて城門が作られ、京に近い南側は上城戸、北側は下城戸と呼ばれています。この間の約1.7kmには、朝倉氏の居館や侍屋敷などが作られ、一大城下町が形成されていたんです。当時応仁の乱で京の町は荒廃していたので、多くの公家や高僧・文人が避難してきたことで
2021年4月29日 21:20
石川県金沢市にある金沢城は、「石垣の博物館」と呼ばれるくらい石垣の種類の多さやその美しさは有名です。お城を一周するだけで様々な年代につくられた石垣や積み方が観れるので、それだけで楽しんでいただけます。今回は、そんな金沢城の歴史をご紹介します。金沢城の前身は、加賀一向一揆の本拠となった金沢御坊(かなざわごぼう)です。別名、金沢御堂(かなざわみどう)または尾山御坊(おやまごぼう)と呼は