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「お城と歴史を語る」

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ゆうさいが大好きなお城や人物などの歴史をまとめてご紹介しています。 また主宰するお城や歴史に関するイベントなどについての語りも掲載してます。
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2021年6月の記事一覧

「十一カ国太守」の居城、月山富田城をご紹介(後編)

「十一カ国太守」の居城、月山富田城をご紹介(後編)

こんにちは、ゆうさいです。

前回のご紹介した月山富田城の後編です。
前編をまだお読みでない方は、事前にまずはこちらをどうぞ。

尼子経久(あまごつねひさ)さんの跡を継いだ詮久(あきひさ)さんは、名を晴久(はるひさ)と改名。
大内、毛利といった大勢力との激闘を繰り広げつつも、八カ国を領有した尼子氏はこの時に最盛期を迎えます。

そんな中、晴久さんはかねてから確執のあった叔父の尼子国久(あまごくにひ

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「十一カ国太守」の居城、月山富田城をご紹介(前編)

「十一カ国太守」の居城、月山富田城をご紹介(前編)

こんばんは、ゆうさいです。

戦国期に「十一カ国太守」と呼ばれ、中国地方で権勢を振るった尼子経久(あまごつねひさ)さんが居城とし難攻不落と呼ばれた城。

それが今回ご紹介する「月山富田城(がっさんとだじょう)」です。

月山富田城は、島根県安来市にあります。
富田城が築かれた時期としては、平安時代の保元・平治の頃という伝承が残っていますが定かではありません。

鎌倉時代には、出雲守護職に任

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「国宝だったのに!」と叫びたい、広島城をご紹介(後編)

「国宝だったのに!」と叫びたい、広島城をご紹介(後編)

こんばんは、ゆうさいです。

今回が広島城の後編です。
まだ前回の「中編」をお読みでなければ、事前にこちらを読んでいただいてから「後編」へお進みください。

1619年、福島氏が転封となった入れ替わりで、広島城には外様の雄藩、紀州浅野家が42万6千石で移封されました。
この時の城主は、浅野長晟(あさのながあきら)さん。徳川家康さんの女婿です。
広島城は、以後明治維新までの約250年間この浅野家12

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「国宝だったのに!」と叫びたい、広島城をご紹介(中編)

「国宝だったのに!」と叫びたい、広島城をご紹介(中編)

こんばんは、ゆうさいです。
今回は、広島城の中編です。

前編をまだ読まれていない方は、ぜひ事前にこちらを読んでから後編をお楽しみください。

1591年、ついに広島城天守が完成し、1月には輝元さんが入城します。

家臣団も続々と割り当てられた土地に屋敷を構え、商人も呼び寄せていたので城下町はみるみるうちに形成されていきました。

その翌年の4月には、「文禄の役」を指揮するために名護屋城へ向かう途

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「国宝だったのに!」と叫びたい、広島城をご紹介(前編)

「国宝だったのに!」と叫びたい、広島城をご紹介(前編)

広島城は、広島市を流れる太田川の河口に発達した中州に築かれた中国山陽路最大の城郭でした。
そしてあまり知られてはいませんが、広島城は1931年に天守閣が一度「国宝」にも指定されているんです。

そう、B29により原爆を投下されるまでは。

この事実を多くの人にも知ってほしいという想いを込めて、今回は広島城の叫びと歴史をご紹介します。

この城を築いたのは、最盛期に中国・四国・九州にまで版図を広げた

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「信長の野望」って、子供の教育にとって素晴らしいゲームだと思う。

「信長の野望」って、子供の教育にとって素晴らしいゲームだと思う。

こんばんは、ゆうさいです。

仕事でたまたま取引先の方と話をしていた際に、同じ歴史好きだということがわかりかなり話が盛り上がった。

その盛り上がりのきっかけというのが、皆さんお馴染みの歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」。
私の場合は、初代「信長の野望」からスタートして、「武将風雲禄」というシリーズまでどっぷりはまってやってました。

今回は、この「信長の野望」というゲームが、どれだけ素晴ら

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浜田藩248年の歴史がつまった浜田城をご紹介(後編)

浜田藩248年の歴史がつまった浜田城をご紹介(後編)

こんにちは、ゆうさいです。

今回がいよいよ浜田城の最終章(後編)です。
中編をまだお読みではない方は、こちらを先にお読みください。

仙石騒動でごった返した浜田藩ですが、またまた大きな事件を起こしてしまいます。

後年に「竹島事件(たけしまじけん)」と呼ばれることになる密貿易事件です。

借金に苦しむ藩財政を立て直すため、藩の御用商人だった廻船問屋の会津屋八右衛門さんが、李氏朝鮮との密貿易を提案

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浜田藩248年の歴史がつまった浜田城をご紹介(中編)

浜田藩248年の歴史がつまった浜田城をご紹介(中編)

こんにちは、ゆうさいです。

今回も前編に引き続き、浜田城の歴史をご紹介ます。
前編をまだ読まれていない方は、ぜひこちらからまずは前編を読んでみてください。

古田家が跡継ぎ不在により改易となると、浜田城には1649年に播磨国の山崎藩から松平康映(まつだいらやすてる)さんが入城します。

康映さんの後もこの松平氏が続きますが、3代藩主の康員(やすかず)さんが病弱の上、養子だった康房(やすふさ)さん

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浜田藩248年の歴史がつまった浜田城をご紹介(前編)

浜田藩248年の歴史がつまった浜田城をご紹介(前編)

浜田城は、島根県浜田市北側の松原湾近くの、海抜70mほどの山上にあります。

この城は、1619年に古田重治(ふるたしげはる)さんが、徳川頼宣(とくがわよりのぶ)さんの和歌山転封にともなって、伊勢松坂藩より5万4000石に国替えとなった後、約9ヶ月という期間をかけて築城したお城です。

浜田城完成した3年後の1626年にスペインの宣教師ディエゴ・デ・サン・フランシスコは、この浜田の地を「非常によい

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