【夢ってのは呪いと同じなんだ】アニメ映画『トラペジウム』感想
モンキー・D・ルフィの主人公性
『トラペジウム』の感想を見に来た方に藪から棒な質問だが、皆様は『ONE PIECE』という作品をご存知だろうか?
週刊少年ジャンプにて絶賛連載中・毎週日曜朝にテレビアニメ放映中の世界的人気を誇る、超王道少年漫画である。
一応知らない方のためにざっくり要約すると、主人公モンキー・D・ルフィが「海賊王になる」という夢を叶えるため大海原に乗り出し、個性豊かな仲間たちを集め、さまざまな困難を乗り越えていく…という物語なのだが、私は昔からこのルフィという人間がどうも苦手だ。
彼は「自分以外の人間もみな、自分と同じ価値観を持っている」と信じて疑わない傾向があり、海賊として仲間になることを拒否しようとする人物に向かって「うるせェ!!! 行こう!!!!(ドン!!!)」などと乱暴な言葉遣いで強引に恐喝して仲間に引き込んだり、自らの意志で皆の元を離れ死のうとする仲間を追いかけ回し「生きたいと言えェ!!!!(ドン!!!)」などと喚き散らしたりと、相手の考えや意志を尊重しようという気持ちが根本的に欠落している。
さらには、もともと海賊を目指すつもりなど微塵も無かったヒロインが絶対絶命のピンチに狼狽している最中にも、心配するどころか「未来の海賊王の仲間がよ…情けねェ顔すんじゃねェ!!!(ドン!!!)」などと何の問題解決にも慰めにもならない決め台詞をドヤ顔で決めたりもする。
そんなモンキー・D・ルフィという豪快すぎる自分本位なキャラクターが作中で多くの人間から信頼され「船長」としての威厳を保てているのは、彼が「覇王色の覇気」と呼ばれる力を生まれながらにして持っているからである。これを持っている人間は、無意識に周囲の人物を惹きつけ巻き込んでいくカリスマ的存在となる運命を背負っており、別名"王の資質"とも呼ばれている。
つまるところ、ルフィという人間は、「海賊王になりたい」という自分の夢を叶えるためだけに一直線な視野の狭い人間であり、他人から見ると支離滅裂な言動を繰り返してはいるものの、天性の才能によって関わる人間に嫌悪感を抱かせることなく人心を掌握することが可能という超絶チート性能を持った主人公なのだ。(世界中のONE PIECEファンを敵に回すような発言をしている気がするのでフォローしておくと、私はONE PIECEアンチじゃありません…! 全巻読んでるので許してください…!!)
主人公・東ゆうの人間性について
さて、ようやく『トラペジウム』の話を始めるのだが、今作の主人公・東ゆうは、「覇王色の覇気を持たない、闇のモンキー・D・ルフィ」とも言うべき存在だと感じた。
すでに主人公の人間性を否定するツイートが大バズりしていたのでご存知の方も多いと思うが、まさにこの文章の通り、彼女は「アイドルになりたい」という自身の幼い頃からの無垢な夢を叶えるために、手段を選ばず周囲の人間の意志を無視して人生を狂わせていく最低最悪の主人公である。
具体的には、
・「いい人アピール」のためにボランティアに参加し、班分けの都合で4人同じチームになれないことがわかると露骨に不機嫌に。
・彼氏との写真が流出してプチ炎上してしまい、泣いて謝るメンバーに対して慰めるどころか舌打ちして「彼氏がいるんだったら、友達にならなきゃよかった」と激昂。
・口パクでライブステージを行うことになり戸惑う一同を落ち着かせるために「私は歌が苦手だからむしろありがたい」と冗談まじりに言ったメンバーに対し、「苦手って思うんだったら練習すればいいじゃん」と怒る。
などなど、作中で描写された「主人公とは思えぬ悪行」の例を挙げ出すと枚挙に暇がない。(「悪行」にカウントしていいのか微妙なラインではあるが、ボランティアで登った山での昼食時に、開けたばかりの味噌汁に蟻が入ってしまい、中身を全部地面に捨てるところも一般的な「アイドルアニメ」の主人公なら絶対に描かれない場面だろうと思った)
▲公式でも抜粋動画が上がっているので、ぜひ拡散しよう!
これだけ癖の強い主人公なので当然好き嫌いも分かれ、ネットでは「作者の人間性を疑う」だの「気分が悪い」だのと、主人公を超えて作品自体に対する批判意見もちらほら見かける有様だが、私の目にはむしろこの主人公、この作品は非常に魅力的に映った。
確かに主人公の性格がとんでもなく悪いことは紛れもない事実なのだが、その「人間としての悪辣さ」が非常に自覚的に描かれており、「コイツは悪い奴なので、あとでひどい目に遭いますよ〜」というのが暗に伝えられているような安心感が常にあったからである。
個人的に一番印象的だったのは、アイドルグループのメンバーを集めていく前半パートにて、仲間が増えるたびに誰にも見えないようこっそり指で数字を作り、「何人目」というのを示す場面である。
友達に「なる」ではなく、自身の夢を叶えるための"友達"を「作る」主人公の人間性の希薄さ、病的なまでの合理主義性を端的に表していて凄くいい演出だと思った。
それ以外にも、「東西南北から一人ずつメンバーを集めてアイドルグループを作る」という目標のために勧誘した華鳥蘭子という人物を「ミナミさん」呼びしたり、テレビの取材に対してメンバーのことを「友達」ではなく「ボランティアグループの仲間」と紹介するなど、他メンバーのことを人間性や志に共感して集った仲間たちではなく、自分の夢を実現するための歯車としか見ていないサイコパス感や危うさが随所に感じられてゾクゾクした。
本作の後半ではそんな人間的に成熟していない主人公が、期待通り散々な目に遭ってくれるためとても痛快である。
もしもまだ観ていない方がもしいれば、キラキラ輝くアイドルとしてのサクセスストーリーではなく、「スカッとジャパン」や「昔話にでてくる"いじわる婆さん"視点の話」として観に行くことをオススメする。
(というか、この記事の冒頭に貼っている公開直前PVの出来が頗る良いので、この動画で少しでも興味を持ったら観て後悔しないと思う)
「夢」と「欲望」は紙一重
ここまで主人公の人格を否定してきたが、私はこの主人公をどうしても嫌いになれない。というかむしろ、「嫌われて周囲から人が離れていき、報われない」という結果も込みで主人公としてかなり「好き」の部類に入ってくる。(現実世界ではあまり関わりたくないが…)
悪い面ばかりが強調されがちな彼女だが、夢を実現するための行動力や意識の高さという点においては尊敬せざるを得ない。15歳にして「アイドルオーディション全落ち」という絶望を経験しながらも、正攻法以外のやり方で必死にアイドルを目指す彼女の精神性は、悪魔の実を食べて海を泳げない体になりながらも「海賊王になる」という途方もない夢を信じて突き進むモンキー・D・ルフィと全く同じである。
彼女の意識の高さは、くるみ勧誘時に知り合いになった工藤真司という同年代の男子との関係性によく表れていると感じた。彼とは作中で二人きりで会う場面も多く、他メンバーには打ち明けない「アイドルへの秘めた情熱」を語るという、他作品なら恋愛関係に発展しそうなシチュエーションまであったのだが、アイドルとして知名度が上がってからは二人で会う機会を無くしており、夢に対して一直線だからこそスキャンダルを起こさないよう一線引いている主人公のプロ意識が垣間見えた。
また作中で一貫して、夢を実現するための工程をノートに丁寧にまとめているのも、本気度がうかがえて個人的に好感度が上がるポイントだった。(そういえばこのノートを他メンバーに見られて一悶着する展開はあると思ったけど、結局無かったな…)
これだけ夢に対してひたむきに努力し、己の身一つで仲間を集めることに成功した彼女がモンキー・D・ルフィになれなかった最大の要因は、自分のアイドルとしての野望を仲間に早々に打ち明けず、本心を隠したまま打算的に距離を詰めたことだと思う。
東ゆうが夢のために集めたメンバーは、彼女の独断と偏見によって選出されているため、
・華鳥蘭子:世間の感覚とズレたお嬢様で友達がいない。
・大河くるみ:注目を浴びるのが苦手。メンタル不安定がち。
・亀井美嘉:整形歴あり。彼氏持ち。
と、アイドルへの適性があるとは到底言い難い面々ばかりである。
そもそも「アイドルをやりたい」と思って集まっているメンバーではないので、実際にアイドル活動が始まったら反発や歪みが生じるのは容易に想像がつくことであり、文化祭のライブイベントを見せてアイドルに興味を持たせようとする程度の裏工作で簡単に解決できる問題では絶対になかったのである。
ではなぜ作中でもクレバーにふるまう主人公が、そんな見えている地雷を踏みに行き、回りくどい手法を取ったのか推察するに、「自分の叶えたい夢を伝えたところで、おそらく誰にも理解されないだろう」という不安をずっと抱えていたからではないからだろうか。
アイドル活動の中で精神が崩壊してしまったくるみちゃんを前に、「アイドルって楽しくない」と本音をぶちまける他メンバーに対して、「こんな素敵な職業ないよ」と狂ったように力説するシーンは、主人公の恐ろしさというよりも、誰にもわかってもらえない悲しみを強調するシーンのように思える。
この世界に存在する多くの作品は「夢を叶えること」「そのために努力を重ねること」を絶対的な美徳として描くものが多いが、彼女の「夢に対する異常なまでの執着」を見ると、果たして本当にそうだろうかと立ち止まって考えたくなる。
今回はアイドルという題材だったが、企業で利益をあげるために働くサラリーマンをはじめ、ほとんどの職業が集団で一つの目標に向かうという形を取っている。当然だが集団の全員が同じ方向を向いているわけではなく、熱量も想いも人によってバラバラである。そのなかでリーダーたる人物は、程度に差こそあれど仲間の自由意志を奪って締め付け、目的を達成するための「歯車」にする必要がある。モンキー・D・ルフィだって、一味を自分の船に乗せて人生の主導権を預かっているのだ。東ゆうには、たまたまルフィほどの人望(="王の資質")が無かった。ゆえに、何もかもうまくいかなかった。ただそれだけの話なのである。
「東西南北(仮)」の活動が軌道に乗っているときに、SNSでのフォロワー数やリプライ数が東ゆうだけあまり振るっていなかったのも、オーディションに全落ちした理由を裏付けているようで、見ているこちらまで少し悲しくなってしまった。
「東西南北から一人ずつ美少女を集めて4人組のアイドルグループを作る」という主人公の目標も、はじめは共通点のある人物ばかりを殺そうとするサイコパス殺人鬼の発想のように聞こえてしまい全く意図が理解できなかったのだが、人の目に留まるようなアイデンティティーを何も持っていない主人公が、15才の脳みそをフルで使って、なんとか大衆の興味関心を引けるキャッチーな売り出し方を考えて絞り出したアイデアだったのだろうと思うと、何だか泣けてくる。
夢を持つことやそれに向かって努力し周囲の人々を巻き込んでいくことは確かに素晴らしいが、その夢が人に理解され仲間を得られるかは生まれ持った才能次第であり、下手をするとかえって周りの人を不幸にする可能性がある……
「アイドル」という一般的にキラキラした存在と思われる職業をテーマに、そういった現実的で残酷なメッセージを打ち出したように思えたこの作品は私の心に深く刺さったし、これからの人生でも時折思い出すと思う。
最後に一点だけ本作に対する不満を挙げるとすれば、エピローグで登場した数年後の東ゆうが、おそらく芸能界で大成していそうな点である。
結局アイドルとしての夢を諦めきれないから続ける、という流れなので最終的にハッピーエンドになるのは物語的には綺麗な締めなのだが、それにしては主人公のしてきた悪行の印象が強すぎて、「コイツ結局幸せになるんか……」というガッカリ感もあったので、もう少しボカす感じにしてほしかったなーと思ってしまった。
もしくは、工藤真司に対して「かわいい子を見るたびに思うんだ、アイドルになればいいのにって」と本音を打ち明けるシーンもあったことから、自分自身がアイドルになるのではなく、誰か他のアイドルのプロデューサーもしくはマネージャーになっている未来の方がしっくりきたかもしれない。
「東西南北からメンバーを集める」「ボランティアをやっていた経歴がある方が印象がよくなる」「歌詞を自分たちで書く」など、作中でも自分たちの売り出し方を客観的な目線で深く考えていた印象があったし、人を普通に傷つけるタイプの性格をしているので、アイドルをやるよりかは向いていると思うのだが……
まあ、このあたりは好みの問題なのでさておき、さらっとした王道の作品に食傷気味になっていて奇抜な物語を見たい方や、ルフィのような愛されキャラに苦手意識を抱く捻くれ者の人間には刺さること間違いなしの作品なので、迷っている方はネットの批判意見に流されず是非観に行って欲しい。
細かい点で言うと、アニメ映画に「オープニング映像」があると特別感があってテンションが上がるタイプなので、そういった点でも個人的にすごく気に入った映画だった。
正直なところ大衆ウケする作品ではないとは思うが、個人的には上映終了後に映画館が明るくなるとともに(心の中で)スタンディングオベーションをして、(心の中で)スキップで帰るレベルにぶっ刺さった作品だったので、「見せてくれてありがとう」の気持ちでいっぱいである。
思ったより長文感想になってしまったので、最後まで読んでくれた方がいればその方にも感謝しつつ、この記事を閉じたいと思う。
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