【愛嬌って大事よな】アニメ映画『ふれる。』感想
私の名は、ツユモ。
つい先日、岡田麿里氏が脚本を務めるオリジナル長編アニメーション映画『ふれる。』を鑑賞してきた。
アニメ好きの皆様には今更説明するまでもないだろうが、岡田麿里氏の作品はいわゆる「王道展開」とは真逆の作風をもつものが多く、とにかく癖が強い。
私の場合『泣きたい私は猫をかぶる』や『空の青さを知る人よ』は好き好き大好きなのだが、『アリストテレスのまぼろし工場』や『心が叫びたがってるんだ。』は微塵も刺さらなかったので、今回も一か八かの賭けの気持ちで劇場に足を運んだ。
結果としてどうだったかというと、一でも八でもなく、「つまらなくは無いし好きか嫌いかでいえば「好き」に入る…かなあ… 一応、映画代分くらいは楽しめたと思うけど、人に勧めたり二回目見に行ったりはしないな…」くらいのすごく煮え切らない感情を抱えたまま劇場を後にすることになったので、今回はそういう煮え切らない感想記事になることを最初に断っておく。
「ふれる。」というより、「ぶれる。」
今作は、体に触れるだけで相手と考えていることを共有できる不思議な力をもつ「ふれる」という生き物を拾い、一緒に成長してきた3人の青年の物語である。
主役となる3人のキャラクターの声は、永瀬廉、坂東龍汰、前田拳太郎という今をときめく若手イケメンアイドルや俳優たちが務め、プロモーションとしてもこの演者およびキャラクター三人のビジュアルを強く推し出す形の施策が多い。
私の家の近所のコンビニでも、対象商品を買うと先着でこのキャラクターたちの立ち絵が載ったクリアファイルがもらえるキャンペーンが開催されていたりした。
また、「体に触れることで心を通わせられる」という設定から、彼ら同士のボディタッチの描写もかなり多く(作中で女性キャラから「あいつらデキてる」と言われるほど)、女性視聴層に向けたいわゆるブロマンス〜BL的な需要も狙いに行った作品なのだろうなと思われる。
淡々と語ってきているが、これらの売り出し方自体については作品の出来とは関係がないのでとやかく言うつもりはない。「アニメとはもっと高尚なもので〜」などとつまらない説教を垂れるつもりも一切ない。
…のだが、一つだけこれだけは言わせて欲しい。
そんなキャラ売りするような作品かこれ!?
少なくともキャラの立ち絵が載ったグッズが欲しくなるような作品ではなくないか????
世のお姉様方はイケメンが演じてたらそれでいいのかよ!!!!!!!
いや、メインターゲット層でもない私がとやかく言うことじゃないし、お姉様方が実際に嬉々として買っているなら別にいいのだが、「作品の売り方と中身がめちゃくちゃズレてないかな!?」というのが今作を見て率直に浮かんだ感想である。
ちなみに、すごく冷めた言い方をしてしまったが、前田拳太郎さんの演技が超うまかったことだけは書き記しておきたい。
補足すると、彼は数年前に『仮面ライダーリバイス』で主演を務めていた経歴を持つ俳優で、今作では優太の声優を務めている。
明らかに『リバイス』のときと声の出し方がまるで違っていて、言われても気づけないレベルで別人のような演技だったので、これは是非聞き比べてみてほしい。
…話を戻すが、最初に述べた通り岡田麿里氏の脚本は癖の塊のような作品ばかりである。
勝手なイメージだが、鑑賞者100人中90人が「微妙だった」という顔をするが、残り10人の人生に深く刺さる作風に特化した、媚を売らない脚本が魅力であると思う。
今作においても、主人公の秋はすぐに人を殴ろうとするやべー奴だし、諒は最終的に作中で彼女が出来てカップル成立するし、優太は性欲剥き出しで嫉妬深いしで、視聴者に媚びた「キャラ売り」など微塵も考慮しない、大人向けのヒューマンドラマとして作り上げようとしていたことが感じ取れる。
それなのに今作では、前述した「イケメン俳優3人とキャラを重ねたプロモーション」のほか、大人気アーティストのYOASOBIを主題歌に起用したり、特に必要もなく三人が空を飛ぶ「売れるアニメ映画の王道の絵面」を急にぶっ込んだり、ふれるを可愛いマスコットのような作風にしたりと、大衆受けを狙いに行ったような要素が随所に散りばめられていて、脚本と売り出し方がブレている感覚を受けてしまった。
(企画・プロデュースを担当した川村元気氏が、こういう「大衆受け」の作品作りに長けた方なのもかなり影響しているのだろう…)
劇場を出る際に、若い女性二人組が「なんかよくわかんなかったね。天気の子みたいなやつかと思ったのに」と話しているのがちらっと聞こえたが、彼女らはまさにこのミスマッチの被害者なのではないだろうか。
ネットを見ても低評価をつけている人が多い印象だが、脚本の良し悪しは一旦別として、「イケメン3人と、かわいいマスコットが出てくる青春映画ですよ〜」という面をして出回ってしまったことがこの作品最大の悲劇だったと思う。
「イケメン男子三人の友情青春物語」が見られると思って劇場に足を運んだら、「一つ屋根の下で暮らす年頃の男女五人の痴話喧嘩」を長尺で見せられるのだから、まあそりゃ低評価つけるだろ…としかいいようがない。
いっそ開き直って、
これは岡田麿里の作品です!!
全体的にドロドロギスギスしてるし、「尻軽」とか「ビッチ」とかいう単語もポンポン出てくるし、メインキャラが酒に酔った勢いで不純異性交遊しようとする淫らなシーンや、ストーカーによるレイプ未遂シーンもあります!!!!
という宣伝をして、「知る人ぞ知るニッチな名作」の立ち位置を目指すくらいが作品の性質に合っていたのではと思ってしまうが、ビジネス的にはそれじゃ成り立たないという大人の事情もわかる…
劇場にはファミリー層も何組かいたのだが、この映画をきちんと楽しめたのかいささか心配である。
女は愛嬌、男も愛嬌
ここまで「キャラ売りなんてできるような作品じゃない」と述べてきたが、やはり今作の一番の問題点はキャラクターの魅力がなさすぎることだと思う。
メインキャラの3人の他に出てくる女性二人組に関しても、「いくら相手が同性愛者だと思い込んでいたとしても、若い男三人の家に居候させてもらうってどういう価値観してんねん!?」と思ってしまって、どんなに作中でもっともらしいことを述べていても全く感情移入できなかった。
そのうえ同性愛者じゃないことがわかった途端に、「絶対部屋に入ってこないでよね」などと上から目線でルールを作るシーンなどは、「しばき回すぞコラ」と思いながら見てしまった。
というわけでメインキャラ全員かなり欠点が目立つのだが、正確には「欠点が多い=魅力が無い」というわけではない。どんなに性格最悪でも、殺人大好きのサイコパスだったとしても、魅力のあるキャラクターというのは世の中にはたくさんいる。
つまり、欠点の多さというよりは、それらの欠点を補えるほどの愛嬌がないことが今作のキャラクターの1番の問題だったと思う。
これは自論なので鵜呑みにしすぎないでほしいが、物語においてキャラに「愛嬌」を持たせるための手っ取り早い手段としては、
・キャラクターの年齢を下げる
・それだけの欠点があっても同情できるほどの悲しい過去を持たせる
・キャラクターが劇中で痛い目を見る
などが挙げられると思う。
最近見たアニメ映画では、『化け猫あんずちゃん』に登場する「かりんちゃん」という小学生の女の子がこのメソッドで作り上げられたお手本のようなキャラクターだ。
彼女は原作漫画には一切登場しない映画オリジナルキャラにもかかわらず、口も性格も態度も悪く、可愛こぶって大人から金を貰おうとしたり、喧嘩した腹いせにあんずちゃんの自転車を川に捨てたりと、なかなか攻めまくった傍若無人極まりない活躍を見せる。
が、彼女は母親を幼くして亡くしており、甲斐性の無いダメ親父に振り回される人生を歩んできたというバックボーンが提示され、海辺で仲のいい親子が遊ぶ姿を羨ましそうに眺めたり、お母さんと離れたくなくて年相応に涙したりするシーンがあることによって、最終的には彼女のことを心の底から応援したくなってしまうのだ。
思えば、私が好きな『泣きたい私は猫をかぶる』や『空の青さを知る人よ』も多少人間性に問題のある主人公が描かれているが、「どちらもまだ思春期の女の子だし、多めに見ましょうや…」というジジイフィルターがかかることで楽しく見れたところがある。
一方で今作の場合だと、青春時代をとっくに過ぎた成人男性がメインキャラのため、逆に「大人のくせに何だこいつら」というバイアスがかかった厳しい目で見てしまう。
彼らに真に必要だったのは、コミュニケーションでも対話でもなくて、愛嬌だったのだろう。
特に主人公の秋は、まるで自分が被害者かのように「口に出すのが苦手だから、手が出てしまうんだ」と独白していたが、「感情を言語化するのが苦手」という問題と、「他人に対する暴力の発露」は全く別の問題だし、今すぐ接客業をやめてくれ、としか思えなかった。
とはいえ、思っていることをうまく表現できなくてお腹の中に感情が溜まっていってどうしようもなくなる、という感覚自体は私も理解できる部分がある。(だからこそこうやって発散しようと拙い文章を書いているのである)
なので、暴力性を強調するような場面は省き、「思っていることを口にするのが苦手で、友達を作れずに一人ぼっちで膝を抱えている幼少期のシーン」などがしっかりあれば、もっと感情移入して秋のことを好きになれたかもな、とは思ったりもした。
なんなら、その孤独を癒す唯一の友達として「ふれる」がずっと傍にいてくれて、秋の「誰かと仲良くなりたい」という願いに呼応して「他人と心が通じ合う魔法」をかけた…的な設定だったら、終盤のこれまでただのペットとしての描写しかなかったふれるに対して「これからもずっと一緒にいたい!」という激重感情を急に伝える秋の唐突さが緩和されたのでは?とも思う…
ここまでさんざん文句を垂れてきたが、今作に対して、それでも好きか嫌いかで言えば「好き」に入る作品かなあ…と思えたのは、秋が諒と優太に「友達になってください」と改めて言うシーンで素直に感動したからである。
今作は幼少期から「ふれる」の力に頼ってきて言語的なコミュニケーションを怠ってきたがために、「大人になりきれなかった青年たち」がすれ違いながらも、お互いのことを見つめ直してまた一から関係を築き直す、と言うのが主題の物語であると思うし、そのテーマにすごく真摯に向き合ったクライマックスにふさわしい良い場面だなと感じた。
その後の「友達になってくれないなら、殴る」と言ってゲラゲラ笑い合うシーンは、そこネタにしていいポイントではなくない…?とも思ったが、これまで本当のコミュニケーションを取れていなかった彼らが互いの欠点を認め合って、そのうえで彼らがそれで良いと思っているなら、傍観者が口を出す問題ではないのだろう。
改めて考えてみても、徹頭徹尾大衆受けする映画ではないし、まして普段アニメを見る習慣のない非オタク層を無理矢理取り入れようとする売り出し方は良くないなと思うが、「今年ワースト」だの「つまんない」だのバズり狙いの過激な言葉で罵倒するほど酷い作品とは全く思わなかったので、興味のある方は観に行ってみてはどうだろうか。
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