ウクライナ民謡 沼(6)シェウチェンコ詩『遺言』Заповіт その2
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ウクライナ民謡 沼
ウクライナ民謡 沼(5)シェウチェンコ詩『遺言』その1では、おもに歌をとりあげたが、ここでは詩そのものをとりあげる。
1.朗読の動画
まずは、『遺言』の朗読を聴いてみよう。
Тарас Шевченко "Як умру, то поховайте" (ЗАПОВІТ) Аудіо вірш
詩の朗読『遺言』(シェウチェンコの詩より)
朗読はいろいろあるが、字幕付きの動画を選んでみた。
詩の発音については、「その1」にあげておいたので、そちらを参照されたい。
(出典:ウクライナ民謡 沼(5)シェウチェンコ詩『遺言』その1)
2.詩の概要
シェウチェンコ(Тарас Григорович Шевченко, 1814-1861)は、1814年、キーウ南方の村で、農奴の子として生まれた。
幼少期に両親と死別するなど、苦労が絶えなかったが、主人の転居にともなって移った帝都ペテルブルグで画才を認められ、知己を得た画家や詩人・作家たちの支援もあり、農奴の身分から自由になった。
『遺言』は、農奴の身分から解放されたシェウチェンコが、十数年ぶりにウクライナに帰郷し、(途中ペテルブルグとの往復はあったものの)長期滞在した際に書かれた詩である。
以下に、詩の概要を散文で記す。
詩を散文で説明するなど、我ながら野暮の極みだ。
詩人とその詩作品に関心を持たれた方、詩の秘めたるパワーがあまり伝わってこなかった方は、ぜひとも翻訳された詩集を実際に手にとり、詩そのものの響き・趣を味わうことをお勧めしたい。
のちほど、日本語訳についても、ご紹介する。
3.詩のウクライナ語原文
以下に、『遺言』のウクライナ語原文を添付する(画像ファイル)。
(出典:Тарас Шевченко : Поезії в двох томах. том 1. Радянський письменник. Київ. 1955)
4.『遺言』の日本語訳
4-1.小松勝助 訳
1964年、シェウチェンコ生誕150年を記念して、ウクライナ移民団体が、45か国語に翻訳された『遺書』をブエノスアイレスで出版した。
当時のソ連邦構成国や東欧各国の言語にはじまり、英、独、仏、伊、中、朝鮮、ポルトガル、フィンランド、スウェーデンなどの言葉に混じって、日本語訳もおさめられた。
日本語訳を担当したのは、当時、神戸市外国語大学ロシア学科の教員だった小松勝助。
翻訳詩集には、小松による手書きの翻訳が掲載されている。
(出典:Тарас Шевченко. Заповіт (Оригінал і переклади). Буенос-Айрес. 1964)
ウクライナ語ウィキペディアには、「Комацу Сьоске(小松勝助)」のページがあり、『遺言』その他の訳者として紹介されている。
(出典:ウクライナ語ウィキペディア「Комацу Сьоске(小松勝助)」)
4-2.村井隆之・渋谷定輔 共訳
小松による翻訳の出版と同じ1964年、村井隆之と渋谷定輔の共訳による『遺言』がおさめられた、『わたしが死んだら:シェフチェンコ詩集』が出版された。
詩人・農民作家の渋谷定輔によるあとがきを読むと、ロシア文学者の黒田辰男の仲介で、当時、若手ロシア詩研究者だった村井隆之の助力を得て、共訳の形で発表したようだ。
『わたしが死んだら:シェフチェンコ詩集』(シェフチェンコ、渋谷定輔編、国文社、1964年)については、国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービス(登録手続きが必要)で閲覧可能である。
リンク
(出典:『遺言 ― わたしが死んだら』シェフチェンコ、村井隆之・渋谷定輔訳(渋谷定輔編『わたしが死んだら:シェフチェンコ詩集』所収)国文社、1964年)
後年、村井が論文で、「渋谷が担当したのは、詩集全体の編集とあとがきの執筆の外に『遺言』(翻訳の最初の試みはS・小松が数年前に行った)の改訳」と述べているので、翻訳自体は小松の方が早く着手したようである。
神戸大学学術成果リポジトリ
(出典:村井隆之「渋谷定輔とタラス・シェフチェンコ:比較文学的試み・覚書き」神戸大学『近代』59号、1983年、77-130頁)
ウクライナ語ウィキペディアには、小松と同じく、「Сибуя Тэйске(渋谷定輔)」のページがあり、『遺言』の訳者として紹介されている。
(出典:ウクライナ語ウィキペディア「Сибуя Тэйске(渋谷定輔)」)
4-3.藤井悦子 訳
現在、もっとも入手しやすく、かつ、最新のシェウチェンコ研究の成果が反映されている邦訳が、藤井悦子による翻訳である。
私の手元に、藤井悦子訳のシェウチェンコ詩集が3冊あるので、詳しくご紹介したい。
(1)『[遺言]』(タラス・シェフチェンコ、藤井悦子訳注『シェフチェンコ詩選』大学書林、1993年、52-55頁)
ウクライナ語学習者にとって、すぐれた原詩を味わいながら言葉を学ぶことのできる、大変嬉しい教材である。
見開きページの左にウクライナ語の原詩、右に日本語に翻訳された詩行が並んでおり、各ページの下部に訳注が配置されている。
目次・その他の詳細については、大学書林のサイトで確認されたい。
(出典:大学書林サイト『シェフチェンコ詩選』のページ)
私からの補足として、具体的なページの内訳も紹介したい。
(2)『遺言』(タラス・シェフチェンコ、藤井悦子編訳『シェフチェンコ詩集 コブザール』、群像社、2018年、179-180頁)
シェウチェンコの詩作品の邦訳としては、最も充実した作品集ではないだろうか。
全353頁のボリュームで、本文の最後に、38頁にもおよぶ、詩人の生涯に関する解説がおさめられている。
本の詳細と目次一覧については、群像社のサイトで確認することができる。
(出典:群像社サイト『シェフチェンコ詩集 コブザール』のページ)
(3)『遺言』(タラス・シェフチェンコ、藤井悦子編訳『シェフチェンコ詩集』、岩波書店、2022年、188-190頁)
こちらは文庫本なので、気軽に手に取りやすいだろう。
全248頁に、おもだった詩作品がおさめられている。文庫だが、訳者解説は36頁のボリュームである。
こちらも、目次を岩波書店のサイトで確認することができる。
また、数ページの試し読みPDFファイルも提供されている。
(出典:岩波書店サイト『シェフチェンコ詩集』のページ)
このほか、岩波書店のサイトに訳者の言葉が掲載されていたので、リンクをあげておく。
「藤井悦子編訳『シェフチェンコ詩集』<訳者からのメッセージ>」(2023年2月1日)
上記(1)~(3)の藤井訳は、すべて書店で入手可能なので、ぜひとも実際に手に取っていただきたい。
5.詩の朗読動画いろいろ
いくつか朗読の音源をあげておこう。
聴き比べるのも一興かもしれない。
Тарас Григорович Шевченко. «Заповіт» Читає: Костянтин Степанков
俳優コスチャンティン・ステパンコウによる朗読『遺言』(シェウチェンコの詩より)
Тарас Шевченко Як умру, то поховайте Читає Олексій Заворотній
俳優オレクシイ・ザヴォロトニイによる朗読『遺言』(シェウチェンコの詩より)
(おまけ)
初代ウクライナ大統領クラヴチュク、2018年当時の在ウクライナ各国大使、国立シェウチェンコ博物館館長などによる、シェウチェンコ『遺言』多言語リレー朗読(シェウチェンコ生誕204年記念イベント、2018年)。
ウクライナ語、ポーランド語、ジョージア語、英語、ブルガリア語、フランス語、カザフ語、ルーマニア語による『遺言』の朗読を聴くことができる。
Тарас Шевченко. Заповіт єднає світ
「タラス・シェウチェンコ『遺言』は世界を団結させる」
6.『遺言』関連のウェブ記事(日本語)
2022年2月のロシアによる侵攻以降、シェウチェンコの『遺言』は、本邦のマスコミで頻繁にとりあげられてきたので、ウェブで読むことができる記事のリンクをいくつか挙げておく。
配列は時系列順。
(1)「ウクライナの国民的詩人シェフチェンコは十九世紀の帝政ロシア…」(東京新聞「筆洗」2022年2月26日)
(2)高山文彦「ウクライナのためなら死んでもいいと詠った詩だ」サッカー界の“英雄”シェフチェンコが筆者の前で暗誦した“祖国の詩”(Sports Graphic Number Web、2022年3月11日)
(3)吉元明訓、杉本宙矢「ロシアに消された文字 「G」とウクライナ独立の300年」(NHK国際ニュースナビ、2023年1月23日)
(4)津野田興一「ロシア支配に翻弄されたシェフチェンコ 国民的詩人が訴えたウクライナ民族の自由」(日刊ゲンダイDIGITAL、2023年3月1日)
(おまけ)
シェウチェンコの詩、生涯についてのポッドキャストを見つけたので、ご紹介。
『遺言』の話題ではないが、ウクライナの女性が日本語でシェウチェンコについて語っており、興味深い。
(音声)オリハの今まで知らなかったウクライナ #14 ウクライナの象徴的詩人「タラス・シェフチェンコ」(PodcastQR、2023年9月26日)
※ ヘッダー写真の出典は、ウクライナ語ウィキペディア「タラス・シェウチェンコ」のページ。