辰 大阪松竹座 仁左衛門丈の権太 <関西・歌舞伎を愛する会 結成四十五周年記念>
親子の情と慈悲の心 <白梅の芝居見物記>
7月の大阪松竹座においてすっかり定着した歌舞伎の大芝居。
夏芝居とはいえ毎年充実した演目が並びます。見応えがあるため、夏に弱く体力的にもかなりきつくなっている己の現状をも考えず、今回は強行日程で見物。その後の疲れが思いのほか長引いてしまったのは情けないのですが。
是非、この感動を書き留めておきたいと思います。
仁左衛門丈の権太
ご本人もおっしゃっている通り、上方の型とか江戸の型とかを超えた、十五世片岡仁左衛門丈の型といえる権太に深い感動を頂きました。
仁左衛門丈の権太は、「木の実」「小金吾討死」「すし屋」と必ず出して下さるため、歌舞伎になじみがない方にもわかりやすく、また、日頃「すし屋」を見慣れている方にも、三大名作の一つ『義経千本桜』という古典を改めて考え直してみるよい機会を与えて下さるかと思います。
仁左衛門丈は昨年6月、東京の歌舞伎座において同演目を上演されたばかりですが、それからさらに様々な工夫が試みられており、その飽くなき探究心、創造性に尊敬の念を抱かずにはいられません。
私は型を記録したり記憶することが苦手で、作品をイメージで記憶する人間なので、工夫の詳細に関して言及することが出来ないのは申し訳ないのですが。今回の芝居の特徴として「親子の情」というものが今までよりさらに深く描き出されているのが、仁左衛門丈らしい仁左衛門丈ならではの芝居と言えるように思います。
「木の実」の仁左衛門丈は、動きも軽く若々しく、時折実悪の役柄のようなすごみを見せてくださって迫力があるのがまず大きな魅力です。その上、ぐれていてもどこか愛嬌のある権太に磨きがかかり、生き生きと権太という人物を造形していかれます。
いわゆる敵役的な泥臭い描かれ方をされてもいい場ですが、仁左衛門丈の権太はすっきりとして、自然と溢れる妻子への情愛に人の良さがにじみ出てくる権太で、三段目の導入部としての役割を超えた充実した魅力的な一幕を見せて下さいます。
また、「大阪松竹座」は役者さんにとっても、殊に義太夫狂言を演じる上で、歌舞伎座とは違った新たな面白さを生み出していける芝居空間であることを実感いたしました。
「すし屋」の権太も、すごみを見せながらも愛嬌いっぱいで、殊に母の膝に甘える姿は仁左衛門丈でなくては出せない見せ場となっています。
立派な親から勘当を受けてはいるものの親に認められたさに、妻子共々親の”忠義”を支えようとする権太の思い。
妻子への情愛、親への思い、そうしたものを仁左衛門丈は非常に丁寧に描かれていき、素晴らしい舞台を私たちに見せてくださっています。
仁左衛門丈が見せるその情愛が深く描かれれば描かれるほど、観客の心に切なさの方が深く残ってしまっているような感想が聞かれますので、「権太の死」に関して少し考えて見ようと思います。
権太の死は悲劇か
三大名作の一つ『義経千本桜』の「木の実」から「すし屋」の場。『千本桜』の三段目におけるテーマとはいったいどういうものでしょうか。
その死は悲劇と言えるのでしょうか。
以前、『寺子屋』を考えた際に、小太郎の死は決して悲劇ではない、ということを書かせて頂きました。近世演劇(人形浄瑠璃・歌舞伎)において悲劇といえるものは『絵本太功記』の十段目くらいなものであると考える方もおられます。どなたが言われたことか忘れてしまったのは申し訳ないですが。
私には権太の死を悲劇として作者が書いたとは思えません。
邪な生き方をしてきた人間には「思へば是までかたったも。後は命をかたらるゝ‥」という末路が待っている。因果応報という考え方は、近世の一般庶民の中に深く根ざしたある意味で心のよりどころであったでしょうから、「罪」には「罰」が与えられるべきという深層心理に応えるという面は確かにあるようにも思われます。
ただ、因果応報だけが描かれているわけではないでしょう。
仁左衛門丈の権太にも明確に表れていますが、若気の至りで邪な道にそれた人生を歩んできてしまった権太が、本当は父親に認めてもらいたいと願っていたからこそこそ、自分の妻子さえ巻き添えにしても、父の志にそぐう働きをしようとしたのだと私は考えます。
それは小せんにとっても同じでしょう。そうした両親の思いを感じ取ったからこそ、幼い善太郎も六代君の身代わりを買って出るのではないでしょうか。
愛情深く育てられながら、親の期待に添える生き方ができなかった。その権太が、父親に認められ惜しまれながらその「生」を全うしたのです。
父親の怒りをかったまま、邪な生き方以外出来ずに生きながらえるより、権太の最期は父親に自分の気持ちをわかってもらえ、立派な働きと認めてもらえたのです。権太は決して悲劇的な死を迎えたとは言えないと私には思えます。
権太の死は無駄死か
権太家族は身を挺してまで維盛を救おうとしたにもかかわらず、誤解により権太は父親の手にかかって命を落としてしまう。そんな終わり方さえ悲しいのに追い打ちをかけるように、結果として維盛に身代わりが立てられることは頼朝側の意図に沿ったものであったという、権太にとっては大変皮肉な結末を迎えることとなります。
ただ、権太の死は「無駄死」だったと言えるでしょうか。
三段目のみならず『義経千本桜』の作品には、覇権争いにおける勝者は描かれていません。日本における古典には、古代から中世の物語文学のみならず、能、人形浄瑠璃、歌舞伎においてさえも、「鎮魂」ということが大きな要素でありつづけてきたからだと、私は考えます。
その鎮魂ということは、死者に対するものばかりではなく、覇権に敗れ身を引いた側の思いも含んでいるでしょう。敗者側の子孫にとってもそれは「物語られ」「語り継いで」いくべき思いでもあるかと思います。
天下泰平、国家安穏に対する「忠義」として、維盛には「恨み」を離れ出家することが促されます。
出家というのは覇権争いからの離脱であり、それを求められているということは、政をとらんとする者にとっては、社会的立場の死を受入れるのと同じ意味を持つものだと思います。
討死した小金吾に対して「生きて尽くせし忠義は薄く。死して身代る忠勤厚し」と維盛は言います。それは権太の妻子の働きに対しても同じでしょう。
そうした政を担っているわけではない下々の者さえ、命をかけでて「忠義」に殉じている。その姿によって、維盛のみならず回りの人々も覇権争いを離れ、恨みを持ち続けることからも離れる道を選ぶことが出来る。
そうした思いの流れをこの芝居から私は感じます。
そう考えると、権太の死も政を取らんとする側の思いに大きな影響を与えているといった視点に立てば、決して無駄な死とは言えないだろうと私は思うのです。
放生会という慈悲の実践
ところで、鎌倉へ送られた小せんと善太郎はこの後どうなったと思われるでしょうか。
大河ドラマによって「鎌倉殿」の時代に詳しい方も増えているかとは思われますが、歌舞伎で描かれる頼朝は鎌倉時代の頼朝を描いているわけではないことに注意して頂きたく思います。
慈悲の実践という点で、鎌倉時代の出来事と全く無関係ではないのですが、ここでは深入り出来ないので、鎌倉時代を念頭におかずに考えて頂けたらということだけお願いしたいと思います。
『双蝶々曲輪日記』にも描かれている「放生会」
この仏教における慈悲の実践は近世において庶民の生活の一部にまで深く広がっていました。
近世において「放生会」というものが一般化することによって、日本人の考え方や行動に大きな影響を与えてきたと言いるのではないかと思います。否、むしろ日本人の母性的性行に「放生会」の実践が合っていたため、現代においても廃れずに残ってきているのだとも言えるでしょう。
殺し合うことによって覇権を争った天下統一の過程において、この「放生会」の思想が為政者側に深く根付いていたため、その後の天下統一が可能となったということは、特筆すべき事かと思います。ここで詳細には踏み込めず申し訳ありませんが。
そうした「放生会」の思想を庶民にも根付かせていった為政者側であることを念頭におけば‥、
小せんと善太郎は決して悲惨な結末を迎えることはないであろうこと、その行いによって出世の道さえ与えられたかもしれない‥、ということが、作る側にも見物する側にもあったのではないか。私はそのように考えます。
最後になりましたが、今回、中村歌昇丈の小金吾が非常にいいできでした。立回りで回りとの息があっていないところはありましたが、こうした役所に活躍の場がもっとあってもいいように思われました。
中村壱太郎丈のお里は、丁寧に演じられているのが好印象。今までにはなかったしっとりと出過ぎない魅力も加わって女方としての確実な成長が感じられました。
中村歌六丈、中村萬壽丈、上村吉弥丈によって、舞台の厚みがましたことは間違いありません。
2024.7.18