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『月山』森敦

芥川賞受賞作品を並べ、興味の湧いたものから順に読むことにした。教養として名作と呼ばれるものは知っておきたいというのもあるが、読書に耐えうる、自身に変化を与えてくれる、心情の幅を広げてくれる本を確実に読みたかったのだ。そこで目を惹いたのがこの『月山』である。

ずらり並んだタイトルの中で、この簡潔で隙のない、テーマそのものを飾り気なく言い当てた『月山』の名は一際目を惹いた。「月山」から何を感じたのか、どういう物語を展開させるのか。標題からは作者の意図は窺い知れない。飾り気のない、だけど深遠さと吸引力を感じさせるこの本を、手に取った。

さて、「月山」とは、羽黒山・湯殿山と併せ出羽三山の一つに数えられる霊山である。そして、そのうち一番標高が低く目立たない山である。

奥深い雪山の地。

そこに住む人々の性も穢れも混在しながら連綿と受け継いできた「ありのままの生」に、作者を思わせる都会育ちで常識的な男は馴染むことができない。合間合間に零れるお上品な発想は、赤裸々に生きる月山の人には笑い飛ばされてしまう。

しかし、共に時を過ごし、語り合う中で、彼らの心に触れていく――――。



そこに明確なストーリーはない。起承転結という人工の箱に閉じ込めることなく、つれづれに語られる現実の物語を、読者は垣間見ている。信仰を言葉に出して表現するわけではない。だが、寺でありながら生活の邪魔になるカメムシを殺してしまう慣習があってそのことに罪悪感も躊躇いもなかったり、雪に閉ざされた茅屋の中、牝牛が発情して子牛を襲う姿に冷静に対処するじじさまばばさま、幼いながらに感じ取った性に目が離せないでいるじじさまの孫、若い女性の性的な振る舞いに心をかき乱される主人公と、赤裸々に生きる月山の人々と都会育ちの「私」の対比が効いている。常識的で小さな世界に生きる「私」の理解の範疇を超える出来事の数々に、時には不快を感じながらも、理屈ではない、ありのままの生き方に心惹かれていく。

宗派として自覚されるような信仰ではない。自然から恵みを戴き、生活を守るためには殺生もする。原始的な人間の姿がありありと見られた。この現代に!月山――雪に覆われた遥かな地には、性も死も時の無常も全て受け入れて赤裸々に生きる人がいる。普通は理性で避けてしまう穢れ、殺生も閨事も狭い家の中でオープンなのだ。恥も外聞もない。そこにあるのは、ただ繰り返される悠久の生である。その中に佇む筆者「私」と読者の「私」。途方もない時の中で、受け継がれてきた命のエネルギーの欠片に触れたような心地がした。

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