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両眼の手術・・・体験エッセイ①

 2016年4月、左眼の網膜と両眼の白内障の手術をした。左眼の網膜の病気〝黄斑上膜〟が手術必要の段階まで悪化したからである。
 
 左側が見えづらいせいで、左折の時に車をこすり、舗道の四角い消火栓に自転車で激突したりもした。校正の仕事にも支障が出始めた。
 スクリーンの役目をする網膜にしわが生じているため、画像がヨレヨレに見える。カレンダーや本の文字が二重にずれて判読が難しい。真っ直ぐなはずの線がゆがんで見える。
 〝黄斑上膜〟は老化によるもので、治療法は手術しかないという。顔のしわもいやだが、眼の奥のしわも厄介な老化現象であることよ……。

 齢50を超え白内障も始まっている。眼の奥を手術するのだから、手前のレンズも取り替えようということになった。
 眼内レンズの焦点をどこに合わせるかが問題となる。私は両眼ともかなりの近眼なので、右眼に合わせて近くに焦点を、とお願いした。文字を追う仕事がら、手前がよく見えた方が良かろうと思ったのだ。

 手術日の朝、
「右眼も手術しませんか。いずれくる右眼の白内障手術を前倒しして、両方遠くに焦点を合わすのです。どうですか。」
と医師から突然切り出されビックリした。
 今後の生涯にわたる見え方改善の唯一のチャンス。費用を心配する私に、高額療養費申請により手出しの追加金はないとの説明。決めるのは患者自身だと前置きした上で、
「日常生活がなんといっても大事ですよ」
と熱心な副院長からの提案だった。
 長年のドライアイで、視力矯正のレーシック手術は受けられない私(高額な手術費が出せない現実もある)。右眼も白内障の手術をすれば、遠くも見えるようになる……すっかり納得した私は、提案どおりの最終結論を手術台の上で医師に伝えた。

 左眼の手術が始まると、視界全体がきれいな深い蒼の世界になった。そのうち白く眩しく輝く光が遠くに現われ、神の国への入り口に思えた。
 余分な膜なのだろう、ひらひらした黒っぽいものをピンセットではさんで取り除く様子も見えた。ついついその動きに眼が行ってしまうと、
「眼を動かさないで!」
と叱られた。

 術後も眼帯の上からメガネをかけて、持ち込んだ小規模事業者補助金申請書と格闘した。去年(2015年)チャレンジショップに、本づくりをサポートする〝本活工房〟を起業したばかり。
 同室の患者5人は、私を教師か役所の職員と勘違いし、看護師からは「ほどほどにね」と声をかけられた。
 長年、校正の仕事に加え、PTA・子ども会・市民会館保存運動など、多くのボランティア業務で眼を酷使してきた私。眼科に入院しながらも、相変わらず眼を使いまくっていた。

 しかし、右眼の手術後はぱったりと文字を追うのをやめた。眼帯がとれた左眼だけでは、テレビも携帯の画面もよく見えない。
 ルーペ片手に「補助金申請は見送る」と携帯メールで商工会議所に伝える。これでゆっくりできると思った。
 右眼の眼帯が透明なものに変わると、遠くがはっきりと見え、
「裸眼によるこの見え方は、小学5年生以来だ!」
と感激した。しかし、自宅静養のひと月ほどは、これまでと180度違う見え方に、本やメールを読む気が全く起きず、頭痛や吐き気などストレスによる不調も起きた。

 白内障の手術で格段に見え方が良くなったものの、左眼の網膜は少しゆがみが残っている。視力の安定に半年から1年はかかるそうだ。もし、左眼だけの手術で焦点を近くに合わせていたら、当分の間メガネを作ることもできず、運転もできなかっただろう。
 最初は、近くの文字が見えないことに欝々としていたが、老眼鏡にもようやく慣れてきた。視力が安定したら、遠近両用メガネを作るつもりだ。

 遠くに焦点を合わせ、両眼を手術してほんとうに良かったと思う。おかげで、車の運転をはじめ日常的にはメガネがいらなくなった。
医師の「日常生活がなんといっても大事ですよ」の言葉と提案に感謝の日々である。  

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