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SDTraining

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【SDTraining】は、私がTwitterの物書き仲間と一緒にやっている描写修行作品です。2週に一度、提示されたお題画像をもとに情景描写文を作成し、締め切りに準じて提出、公開…
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#オリジナル小説

同タイトル自作小説をゆっくりに朗読してもらいました。

2021Au志乃【剃刀負けの手当てまでしてもらった】

 人間らしい生活、というものは案外保つのが難しい。
 毎日朝起きては顔を洗い、ひげを剃り、髪を整え、三度の食事を用意して咀嚼し飲み込み、体を清めて決まった時間に就寝する。やることが多くてうんざりするが、驚いたことに世間の人間の大半はこれをこともなく、しかも毎日欠かさず行っているらしいのだ。
 吸い込む空気に多分に含まれた湯気でむせそうになりながら、浴槽の中で尻を滑らせて顎を湯に浸す。波立った湯が風

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1912B志乃【長話】

 曇天に冬枯れの秋草、常緑に咲いた山茶花の下、白地に茶ぶちの猫が目をすがめている。
 鼻先にはすっかり白茶けたエノコログサがそよ風でかすかに揺らいでいるが、じゃれつくわけでもなく、石を積んだ垣の上から草越しにじっとこちらを見下ろしていた。
 すっと前足をそろえてお行儀よく、ふと思い出したのは全校集会でマイクを前に長々と語る校長だ。
 本日は今学期の最終日です。誰もが知っていることから始まって、いつ

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1910A志乃【土壌】

 この町は古き良き日本の風情を残しつつ発展した観光地で、大通りでは人力車の車夫が客待ちをしている。ラーメン屋の屋根から歌舞伎役者の人形が唐笠片手に通り見下ろしているのは、まさに歌舞いた有様だ。
 暮時には、所狭しと軒を連ねた商店がその日最後の売り込みをかける。しっくりと着物を着こなして小路から出てきた婦人は、すぐそこの地下鉄で見かければたいそう人目を引いたかもしれない。だが木の縦格子をまとった白壁

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1911C志乃【水鏡】

 鬱蒼と茂る木々のみならず、登ってきたここは山の影に入っているようだ。まだ日は高いが、空気がひやりと肌に冷たい。
 湿った土のにおいと、水気を含んだ樹皮の香りが静かに漂う。
 細い丸太を接いだような柵の外は、うっすらと草の生えた崖だ。地盤も岩ではないのだろう、柔らかな土に覆われて稜線は滑らかだが、のぞきこめばかなり急な傾斜がついている。
 青い瓦屋根、向かいの白いコンクリート造、崖の下は民家が並び

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1911F志乃【歌姫】

 白い壁、白い鍵盤、白を映しているのに青みを帯びた黒鍵。
 濡れたように艶めくアップライトピアノは、吸音板に囲われた部屋に囚われて、人の手が歌わせてくれるのを待っている。
 椅子を引くときに感じるのは、恋人の向かいに座るときのような、緊張と高揚。触れれば応えてくれることを知っていても、満足に歌わせてやれるだろうかと不安になる。
 冷えた革の感触に腰を下ろし、先ほど洗ってきたばかりの脂気のない指先で

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1910C志乃【憩】

 頭の真上から残暑というには強烈な猛威を振るっていた太陽が、今日のお勤めは終い、と傾きだした頃合い。じとじととわだかまっていた湿気が夕風に連れ去られて、さらりと肌を乾かしていく。
 鎮守の森めいた小高い丘を登れば、遊歩道が整備された公園にたどり着く。遊具も何もない、ただ草と灌木、季節ごと色を変える木々が数種、木陰を作っているだけの静かな場所だ。
 他の木の股に足を突っ込んだように生えた木や、自分の

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1907C志乃【小休止】

 自転車を停めると、ざ、と土手向こうで枯れ葦が騒いだ。シャツの中に迷い込んできた風が、脇腹で渦を巻いてから背中へ逃げていく。よく晴れた晩春、夏の足音が聞こえるような日差しにうっすらと滲んだ汗が冷えて、爽やかに乾いていくのを感じた。日焼けし始めた手の甲が熱い。
 足元には絡まりあって乾燥した蔓草。下からハコベや春の野草が茂っている。青いにおいを踏んで土手を登れば、白茶けた枯れ葦の隙間から、緑の葉をつ

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