1911F志乃【歌姫】

 白い壁、白い鍵盤、白を映しているのに青みを帯びた黒鍵。
 濡れたように艶めくアップライトピアノは、吸音板に囲われた部屋に囚われて、人の手が歌わせてくれるのを待っている。
 椅子を引くときに感じるのは、恋人の向かいに座るときのような、緊張と高揚。触れれば応えてくれることを知っていても、満足に歌わせてやれるだろうかと不安になる。
 冷えた革の感触に腰を下ろし、先ほど洗ってきたばかりの脂気のない指先でご挨拶の一音。
 ぽーん、と弦を叩く音に狂いはない。
 冷たく硬く滑らかな、僕の歌姫。ご機嫌はいかが?

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