無駄な塩分まで捧げてしまうほどの愛/日記

気持ちの悪いタイトルをつけるけど、これを泣いてしまうほど好きであるという意である。
ぼくは、相手には申し訳ないがクズがすきだ。クズが好きというよりも、クズしか好きにならない。この一部の自分が大っ嫌いだし、相手にもクズというラベルを貼るぼくも相当クズだと思う。

そんな好きになる人がクズすぎて、関係を築いていくのには、なんだか拒まれる。しかし、どう頑張っても、どんなにクズな場面を思い出しても、「ああ…」とはなるが、大好きだと錯覚する。これが本当に錯覚なのか、本当の好きなのか、モノにしたいというような気味の悪い承認欲求や所有欲の一種なのか。きっと全部正解なのだと思う。

どう捉えても好きである、一面を見て引くことはあるけど、なんだかんだで好きなのである。

これまでにそんな相手がいくつかは存在した。半ば、好きになる条件になりつつあるクズの人もいれば、純粋に憧れとかそういうものを持った人もいる。しかし、その中には本当に好きな人というものはいない。
ぼくはこの人は好きである。合う、そして長く付き合っていきたいと思うような相手は、一言言葉を交わすだけでわかる。と、いうとカッコつけているように聞こえるが、自分でもびっくりするほど、その人に対しては、無駄な緊張をしてしまう。緊張しているのにも関わらず、その人のいる空間には近づきたくて近づきたくて、近づいている。しかし、緊張して話せないみたいな漫画のような展開があるあるとして日常に存在する。

しかし、なぜか好きという薄っぺらい愛にはならない。本当に好きで、自分の世界にも存在させたいし、一般論で言うとパートナーにもしてしまいたい。
でも、クズしか好きにならない。
最低な言い方をすると、自分に刺激となるものもなければ、趣味も苦手なものほど違うし、こだわりもめんどくさいとかいろんな条件が不必要でできている。
でも振り返って見てみれば、全員忘れられず、涙まで流せてしまうほどの好きがある。
あったが正しい。

そんな小さな記憶に今日は涙を流してみている。
何かがあったわけでもなく、ただそこに涙があるだけだ。
大泣きする前に、今日もお開きにしよう。
結局何が言いたかったのか分からなかったな。
この話の続きはまたこんど、記録しよう。

では、また。

おわり

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