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昆明動物園での再会、旅人たちとの交流 ―中国・雲南省 母子3人紀行 #7
このエッセイは、夏休みに親子3人で中国・雲南省を旅したときの思い出をつづったものです。11日間連続で公開しています。
雲南旅行、6日目。
久しぶりに昆明で朝を迎えた。きょうはメイさんと会う約束をしている。
メイさんは昆明出身の女性で、フランスのパリに暮らしている。私が過去にパリに暮らしていたころの恩人で、夏のあいだ昆明に里帰りをするという知らせを受け、私はいてもたってもいられず江蘇省からはるばる飛んできた。
メイさんが市内の動物園に一緒に行こうと提案してくれた。昔からある市民の憩いの場で、メイさんも子どものころよく遊びに来ていたという。子どもたちはメイさんにまた会えて、しかも動物園に行けるということで、朝から興奮していた。
朝10時ごろ、メイさんが部屋まで迎えに来てくれた。そこから4人で散歩がてら動物園まで歩いていくことにした。宿から動物園までは徒歩30分ほどの道のりだ。
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すでに何度か歩いた道のりも、メイさんの案内とともに歩くとまた違ったふうに見えてくる。
昆明は高原地帯にあり、一年を通して春のような気候であることから「春城」とよばれる。そのためか、人々はどこかリラックスした雰囲気をまとっている。話し声や動作なども、江蘇省あたりの人々と比べると何となくゆったりとしている。
街角のお店や売り物なども、あらためて見ると興味深い。江蘇省のほうでは見かけないようなストリートフードが盛りだくさんだし、八百屋をのぞけば珍しい野菜や果物が目に入る。
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さらにここ昆明では、路上でご飯を食べることが一般的らしい。飲食店の軒先には簡易的な机と椅子がならび、やわらかな日差しの下で人々がのんびりとご飯を食べている。その風景はどこかパリのカフェテラスを思いださせた。メイさんも、パリの街並みに故郷を重ねただろうか。
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途中、翠湖の近くのレストランに寄って雲南料理のランチを食べた。その後、メイさんの学生時代の思い出話を聞きながら大学街をぶらぶらと歩いた。メイさんはこの街で生まれ、大学を卒業するまで暮らした。そのあと単身東京に渡り、しばらく働きながら暮らしたあと、ご主人との結婚をきっかけにフランスへ渡った。そしてフランス国内を転々としたのち、流れるようにパリへたどり着いた。彼女の過去に触れるたび、まるで一冊の書物を紐解いているような気持ちになる。未完で、これからもずっと続いていく一篇の物語のような……。
会話に没頭しながら歩いていると、はたと昆明動物園の裏門に到着した。あまりに小さな門で、メイさんがいなければ気づかずに通り過ぎるところだった。「こんなところに動物園の入口があるなんて、地元の人しか知らないと思う」といってメイさんは笑った。私はまるでVIPな招待を受けたような気持ちになった。
裏門から進むと、長男が楽しみにしていた象のエリアにたどり着いた。どの象も雲南の赤土をまとって赤い肌をしていた。さらに虎やライオン、熊などを見ながら園内を回遊した。メイさんは子どもたちのことをひたすら褒めてくれた。子どもたちはいつもと違うふうに褒めてもらえることが嬉しくてたまらない様子だった。休憩したり、アイスクリームを食べたりしながら気ままに散策した。
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そのまま夕方まで過ごし、地下鉄で宿へ戻ることにした。メイさんは最寄り駅まで私たちを送ってくれた。2日後にまた会う約束をして、彼女の背中を見送った。
宿に戻り、1階のレストランで夕食をとった。何度かここで食事をしているうちに、他の常連客と顔なじみになった。ほとんどがこのホテルの宿泊客で、集まる顔ぶれもだいたい決まっていた。
レストランは宿の中庭に面していた。中庭にはビリヤード台があり、そこでは中国人の男性達がいつもビリヤードに興じていた。息子たちはその男性達のようすが気になるようで、まわりをうろちょろしては彼らの打球を観察するのが日課となっていた。そのうち顔を覚えてもらい、その日は長男が中国語でビリヤードの手ほどきを受けていた。
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そのグループのなかに、黒龍江省出身の李さんという男性がいた。彼は年初から車で中国大陸を旅して回っていると言った。チベットからはじまり、陸路でベトナムに入り、昆明まで北上してきたそうだ。つぎはどこへ行くのと聞いたら、「成都」と言った。その先は、と聞くと、わからないと言った。
日本から来たヨウコさんという女性にも出会った。聞けば60代のときにマラソン大会への参加をきっかけに中国を初訪問して以来、毎年中国を訪ねて来られているそうだ。今では一年の半分を中国で、残りの半分を日本で過ごしているという。そんな暮らしももう10年近くになる、といって彼女は笑った。60代からの出会いがそれほど生活を変えるなんて、人生とは本当にわからないものだと思った。
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ほかにも甘粛省出身の旅の男性や、昆明と上海の2拠点暮らしをしているという上海人の男性、バックパッカーの女性2人組(それぞれ湖南省と四川省の出身)、先月まで日本の寺に住み込んでいたというイスラエル出身の女性、常にリモートワークをしているオランダ人の男性、イギリスからのグループ観光客など、本当にさまざまな人がいた。フランスからの旅行客も2組ほど来ていた。久しぶりにフランス語で言葉を交わせば懐かしい気持ちになった。
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夕食後もしばらく子どもたちと中庭に残り、いろいろな人と交流をしたあと、頃合いをみて部屋に戻った。