キンモクセイ香る真夏の庭でお茶会を ―中国・雲南省 母子3人紀行 #9
雲南旅行、8日目。
きょうはメイさんの提案で、子どもたちを連れて少し遠出をすることにした。
向かった先は、昆明の郊外にある西山森林公園。雲南省最大の湖・滇池の西側にそびえる山々一体が森林公園になっている。湖水にかかるなだらかな山並みは、横たわった女性の姿にも見えることから「睡美人」と例えられる。元の時代から続く古刹や、「登龍門」の語源にもなった龍門石窟など、歴史的な見所が点在することでも知られる。
公園の入口付近でメイさんと待ち合わせをした。いつものように颯爽と現れたメイさんは、雲南のとっておきの朝ご飯を紹介するといって近くの屋台に私たちを連れていってくれた。そこでメイさんがオーダーしてくれたのは、「焼餌塊」という雲南発祥のローカルフード。米粉でできたクレープ状の食べ物で、炭火でせんべいのようにあぶって食べる。胡麻やピーナッツなどの甘辛いペーストを塗り、巻いて食べるのが定番だという。最近ではソーセージや「油条」という中国式の揚げパンを巻いて食べるのも流行しているらしい。
メイさんのおすすめで、子どもたちはソーセージ入りの餌塊を一本ずつ、私は油条入りのものをいただくことにした。
食べてみると、お餅風味のクレープのようでとてもおいしい。餅米の甘みにソースの甘辛さやピーナッツの香ばしさが加わり、絶妙な味わいだ。唐辛子のスパイシーさや油条のサクサク感もいい仕事をしている。息子たちもすでに朝食を済ませたことを忘れたかのように、ソーセージ入りの餌塊を夢中で頬張っていた。餌塊のおいしさ以上に、メイさんにまた会えたことがうれしかったのだと思う。これが昆明の朝ご飯だよ、と言ったメイさんの表情はどこか誇らしげだった。
朝食のあと、バスで山頂付近まで登っていくことにした。適当なところで下車し、森のなかを4人でぶらぶらと散策しはじめた。朝の森を散歩するのは気持ちがいい。途中で休憩したり、滇池を見下ろすスポットでお茶を飲んだりしながらのんびりと進んだ。
小一時間ほど歩き、寺院にたどり着いた。西山の最高峰・太華山の中腹に位置する太華寺。元の時代から続く古刹だ。
お参りをしたあと境内をゆっくり散策していると、隅の方に小さな茶室を見つけた。敷居をまたぐと、奥のほうに木々に囲まれた小さな庭があった。木々にはオレンジ色の小花がいっぱいに咲きこぼれていた。近づくと、どこか懐かしくほのかに甘い香りが漂ってくる。その香りがキンモクセイであると気づくまでには少し時間がかかった。時は7月中旬、夏も盛りを迎えるころだというのに、それらのキンモクセイはまさに花盛りを迎えていた。
「7月に咲くのはめずらしい」とメイさんは言った。「昆明では8月がシーズンだから」。俗世から隔絶されたようにひっそりとたたずむ庭を眺めながら、幻想の世界に迷い込んだような気持ちになった。
キンモクセイの木陰に小さなテーブルがあった。私たちはそこでお茶をいただくことにした。メニューのなかから雲南特産のプーアール茶を注文した。しばらくするとお茶が運ばれてきた。茶藝師の方が優雅な所作でお茶を注いでくれた。
一口含むと、すっきりとした苦みのなかに花のような香りが広がる。風がキンモクセイの花を茶の表面に運ぶと、甘くはかない香りがふっと立つ。しまいには長男が小さな茶藝師となり、私たちに茶を振る舞ってくれるようになった。
雨が降りはじめてきた。私たちは軒下に移動することにした。キンモクセイと雨の香りに包まれながら、私たちは時を忘れてあらゆることについて語り合った。この場所にいったいどのくらいいたのかわからない。数時間はいたかもしれない。まるで雨がしばらくここに留まれと言っているかのようだった。先を急ぐのではなく、今この時と向き合うようにと……。それはメイさんがいつか手ほどきをしてくれたマインドフルネスの概念そのものだった。
雨脚が弱まってきたころ、ようやく茶室を後にした。山道を歩いていき、ロープウェイ乗り場にたどり着いた。このロープウェイからの景色がまたすばらしかった。標高2,000メートルの高さからエメラルド色の湖水に向かい、山肌をなでるようにゆっくりとダイブしていく。そこから湖上の中継ポイントを経て、今度は湖面を水平方面に渡っていく。右には西山の睡美人、左には昆明の街を遠くに望みながら、しばしの空中散歩を楽しんだ。
終点でロープウェイを降りた。湖畔には夕方の風がただよっていた。
メイさんとのお別れの時が近づいていた。まだ完全に言葉を解さない次男ですらそのことを察したようだった。湖畔の観光船ターミナルの近くで、私たちは別れの言葉を交わした。2017年にパリで出会ってから今日に至るまでの7年分の感謝をメイさんに伝えた。また会いましょう、と私たちは言い合った。今度は7年もの月日をまたがなくてもいいよう願って……。
メイさんは息子たちをそれぞれ抱きしめてくれた。最後に私たちは長い抱擁を交わした。そしてどちらからともなく手を振った。湖畔沿いの小道を遠ざかっていくメイさんの背中を、私たちは小さくなるまで見送った。