三層の雲を突き抜けて ―中国・雲南省 母子3人紀行 #1
昆明行きの飛行機はゆっくりと滑走路を進みはじめた。
機内は人々の話し声でざわついていた。その言葉の大半は、私にとって聞き慣れないものだった。少なくとも中国語のいわゆる普通話ではなかった。南国の風のようにからりとしていて、どこかけだるいボサノヴァのような響き。見た目から受ける印象も、漢民族の人々とはどこか少し違って見える。東南アジアあたりからの観光客だろうか、それとも、これから向かう雲南の地に多く住むという少数民族の人々だろうか。
飛行機が離陸に向けて加速をはじめた。窓際の席に身を寄せあって外を凝視していたふたりの息子たちが、一瞬こちらを振り返った。やがて飛行機は離陸スピードに達した。機体がぐっと宙へ持ちあがった瞬間、周囲から「わぁ」と小さな歓声があがった。眼下には長江が川幅いっぱいに光を受け、今日もおびただしい数のコンテナ船をたたえていた。この旅はきっと特別なものになるだろう、と私は思った。
遊んだり機内食を食べたりしながら過ごしてしていた息子たちは、徐々に居眠りをはじめた。私も気づけば小一時間ほど寝ていた。
夕方6時を過ぎたころ、着陸予定時刻までまだ一時間弱もあるのに、飛行機は少しずつ下降をはじめた。ずいぶん早く下降をはじめるものだ、もう雲も過ぎてしまった、と思っていたら、その下にもうひとつ分厚い雲の層が待ち構えていた。その雲の層をくぐり抜けると、なんとその下にさらに分厚い雲の層がひろびろと横たわっていた。なるほど、こういうわけで「雲南」というのか――。そう感心しているうちに、飛行機はようやく最後の雲の層を突きぬけた。その瞬間、眼下には見渡すかぎりの田園風景が広がった。
飛行機は予定より30分ほど早く、昆明長水国際空港へ着陸した。
手荷物を受け取り、出口へ向かって歩いているとき、ゲートのむこうの逆光になつかしい背格好がちらついた気がした。私はその姿をメイさんだと確信した。ゲートの外に出ると、メイさんがこちらに向かって手を振ってくれた。7年ぶりに会うメイさんは相変わらず快活で、よりいっそうエレガントな雰囲気をまとっていた。
ひとしきり再会を喜び合ったあと、タクシーで一緒に昆明市内へ向かった。ホテルの所在地など、メイさんがすべてドライバーに告げてくれた。メイさんが中国語を話しているのを見るのは新鮮だった。中国の方だから中国語を話せるのは当たり前だけれど、思えばメイさんが中国語を話しているところをちゃんと聞いたことはなかった。お互いに英語かフランス語で話しているところしか聞いたことがなかったから。メイさんが話す中国語は穏やかで、森に降る雨音を連想させた。
タクシーは昆明市内へ向かって走り出した。子どもたちはもうすっかりメイさんになついていた。小学校教諭であるメイさんは、子どもの心をつかむのがとても上手い。子どもたちはメイさんがくれたおもちゃで夢中になって遊びはじめた。そして私とメイさんはいろいろな話をした。家族のこと、仕事のこと、そして、2017年にパリでともに過ごした日々のこと……。
私とメイさんはパリで出会った。
当時、わたしはソルボンヌで教育学の学生をしていた。そこでは半年間の教育実習が義務づけられていて、その実習先となった学校でメイさんと出会った。というより、そもそも私を実習生として雇ってくださったのがメイさんだった。
そこから私たちは毎日一緒に授業に入った。メイさんが教壇で授業を進めるあいだ、私が子どもたちの席を一つひとつ回っていく授業の形ができあがっていった。メイさんは私に、自らの専門性を高め、情熱をもって人々を導くことの大切さを教えてくれた。私たちはすぐに打ち解けて、部活や課外授業も一緒に担当するようになった。そして毎日地下鉄駅までの帰りも共にして、メイさんのご自宅にも呼んでいただいた。メイさんは私のことをよい友達だと言ってくれた。そして私がパリを離れたあとも、メッセージのやりとりなどを通して交流をあたためてきた。そしてこの夏、メイさんが故郷の中国・雲南省へ久しぶりに帰省するという知らせを受け、江蘇省に暮らす私はいてもたってもいられず、飛行機に乗ってはるばるここまでやってきた。
会話に没頭しているうち、車窓からの景色はすっかり変わっていた。想像はしていたけれど、昆明は都会だった。立ち並ぶ高層ビル、街角の喧騒。ずっと憧れていた彼女の故郷にいま足を踏み入れたのだと思うと、静かな感動が胸のうちに広がった。
タクシーが宿に到着した。荷物を下ろして必要な手続きを済ませたあと、メイさんにお礼を告げて彼女の後ろ姿を見送った。数日後にまた会えるのに、もう名残惜しかった。前回こうして彼女を見送ったときは、そこからまさか7年もの歳月を経ることになるとは思ってもいなかった……。
メイさんを見送った後、親子で軽めの夕食を取り、ベッドについた。翌日の予定はなにも決まっていなかった。まずは、メイさんの故郷である昆明の街を歩いてみたいと思った。