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選ばれたのは綾鷹ではなく村上春樹でした


僕は本を本棚に積んでから読む積読派だ。

格付けチェックに出てくるワインのように、本を本棚で寝かせてから読む。本には読むのに最適なタイミングがあると思っている。その時の気分で「この本を読むべきだな」「この本読むのは気分的に今じゃね」と思って、本棚から熟成された本を取り出して読む。これが僕の読書スタイルだ。

夏目漱石が読みたい気分の時もあるし、伊坂幸太郎が読みたい気分の時もある。新しい本を買ったとしても、家に帰ってみたら「この本を今読むのは違うな」と言う気分になって、そのまま本棚で熟成コースに入ることもある。積読本は年数がたつごとに良さが熟成されているような妄想が広がる。

この習慣は高校生の時から続いている。そして、今もまだ読まれていない本が本棚の片隅で僕に読まれるのを心待ちにしているような気がする。

ちなみにだが、積読本の中で最古参はドストエフスキーの『罪と罰』だ。僕の本棚の中で何年も鎮座しているのだが、「まだこの本を読むタイミングではない」と思って手をつけられずにいる。毎年、今年の目標として『罪と罰』を読むことをあげるのだが、その宣誓は儚くも裏切られてしまう。読むのを諦める度に、本棚からドストエフスキーが恨めしそうに僕をみているような気がするのだが気のせいだろうか?

話を戻そう。本を読み終わったら、本棚の前に立って次に読みたい本を探す。「これは今読みたい」とビビッとくる本を探すのだ。


伊坂幸太郎の『ホワイトラビット』...今は伏線回収したい気分じゃない

中村文則『教団X』...中村文則は精神が健康な時じゃないとキツイ

ドストエフスキー『罪と罰』...これは絶対に違う。

みたいな感じだ。

こんな感じで、次に読む本に悩んでいる時に僕がよく選ぶ本がある。気軽にサクッと読めて、しかも文章を読んでいるのが楽しい本。最初のページから順に読むのではなく、パラパラとめくって開いたページから読み始めても面白い本。

選ばれたのは綾鷹でした。ではなく、選ばれたのは村上春樹でした。

『風の歌を聴け』は村上春樹のデビュー作だ。ここから村上春樹は始まったのだ。『風の歌を聴け』の驚く点は、あの独特な村上春樹の文体がデビュー作の時点で完成されていると言うところだ。

思わす納得してしまう斬新な比喩、ユーモア溢れる会話、村上春樹を構成する要素がもうすでに完成されてそこにあった。

この『風の歌を聴け』は中編小説ではあるけれど、いくつかの断片をつなぎ合わせたかのような小説なので、適当にページを開いて読んでも面白い。ストーリーというより村上春樹の文体を楽しむといった感じだ。

一見すると明確なストーリーがなく、気だるげな青春を描いただけにに思える『風の歌を聴け』だが、そこには村上春樹が仕掛けた謎が隠されている。小説に散りばめられた数字やキーワードをつなぎ合わせて解釈すると、別の一面が浮かび上がるのだ。興味のある人はぜひ謎解きにチャレンジしてみて欲しい。


そんな何気なく手にとって読んできた『風の歌を聴け』だが、ある一節がとても心に残っている。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

村上春樹がこう言うのだから、僕が最初から完全な文章が書けるわけないのだと励まされる。完璧な絶望が存在しないと考えるだけで、理不尽なことが多い世の中でも頑張って生きていけると思えるのだ。


皆さんもぜひ、綾鷹ではなく村上春樹を選んでみてください。

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