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芸術起業論が、ふにゃふにゃになるまで

古典美術を面白おかしく解説するYouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」で五郎さんが紹介していた、村上隆さんの『芸術起業論』を買った。気付いたら、夫が先に読み始めていた。

「最近、現代アートとの向き合い方に迷ってるんだよね。ウィリアム・モリスは、日常の中で、大衆に対して芸術があるべきだと言っていて、知的芸術だけが商業的にもてはやされることに異を唱えてる。逆に、村上隆さんは、芸術ってそういうもので、日本が世界で勝っていくには知的芸術で突き抜けるべきだ、て言っている気がする。どっちなのかな」

『芸術起業論』を読み始めたばかりの夫にそんなことを言われたけれど、ウィリアム・モリスの思考にも、村上隆さんの思考にもまだ触れていない私には、なんとも返答しようがない。ちなみに、ウィリアム・モリスというのは、最近夫が激ハマりしている、19世紀イギリスの芸術家だ。産業革命後に粗悪な大量生産品が出回ったことを危惧して、手仕事の復興を目指す「アーツ・アンド・クラフツ運動」を主導したらしい。

数日経って、ふにゃふにゃになった本が戻ってきた。お風呂の中で夢中で読んでいたらふやけてしまったという。

「読み始めた時の印象から、結構変わって面白かった。早く読んだほうがいいよ、これ」と珍しく熱っぽく夫が言うので、私も浴室に持ち込んで読むことにした。いくつかのページの隅に折り目がついているのは、相当気に入った証か。私が買った本なのに「早く読んだ方がいい」だなんて、なんだか釈然としないけれど、楽しげな夫を見られたのでよしとする。

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村上隆さんと聞いて思い浮かべるのは、ニコニコ笑ったカラフルなお花の絵。先日、大丸東京店でちらっと見た。私はまだ、アートの世界の入り口に足を踏み入れたか入れてないかぐらいのずぶの素人、アート界のミトコンドリアなので、「とにかくすごく有名な人なのだ」ということ以外はあまりよく知らない。お恥ずかしながら、去年まで村上龍さんと混同してすらいた。

「芸術家だって、戦略を立ててお金を儲けていかねばならない」という論から始まる本書、幻冬舎あるあるの熱血ビジネス本かしら、と若干眉をひそめながらページをめくり始めたけれど、夫も言っていたとおり、すぐに印象が変わった。

日本の芸術は、欧米の芸術とどう違うのか。欧米と同じ土俵に立って評価を得るには、どのような思考プロセスで作品を制作するべきか。村上さんがアメリカや日本で悪戦苦闘しながら掴んだ彼なりのロジックには、血が通っていて説得力がある。改行の多い、畳み掛けるような語り口調の文章から、迸るような熱を感じる。

2003年に6,800万円の値段がついたという、等身大のフィギュア『Miss Ko2』の制作にまつわるエピソードも面白い。制作が実現するまでの村上さんの粘りを知ると、曲がらない強い想いが、周りを動かして何かを成し遂げるキーファクターなんだなあ、と感じ入ってしまう。

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まず、歴史を知ること。そして、歴史の文脈の中に自分の芸術を位置づけること。説明する際には、価値観が正しく伝わる言葉を選び抜くこと。村上さんの作品制作や、制作を取り巻く活動は、PRの思考にも通じるものがある。

最近、「心が躍るから」というぐらいの理由で、漫然と歴史にまつわる本を乱読していたけれど、村上さんのおかげで歴史に触れる意義が一つ見えた気がした。歴史の知識は、客観のものさしだ。自分の営みを歴史の中に位置づけることは、社会における自分の立ち位置を客観的に見つめる試みだとも言える。他者の営みもまた然り。

村上さんは本書の中でこのように言う。

欧米のトップの美術批評家は、時代の基準をきちんと作ります。(略)確実な批評の訓練を受けたインテリですから論説もきちんと定石を踏んできますし、だからこそ芸術という非論理的なものに興味を持ち「わけのわからないものを論理で語ること」に挑戦できるのです。
村上隆『芸術起業論』

批評は、歴史、時代感覚と切っても切り離せない。切り離すと成り立たない。これは、芸術の世界だけではなく、たとえば食の世界でも同様だ。プロの批評と素人のレビューをわける要素の一つは、歴史性があるか否か。目の前の料理を歴史の中に位置づけるだけの知識を、言葉を持っているか。おいしい、おいしくない、といった主観だけではなく。

歴史を知り、客観的にアートや食と向き合うことで、その面白さは何倍にも広がる。最近、そう心から実感している。次元が一つ増えたような、そんな感覚。点が線になり、面になる。ぐるっと回って、また戻ってくる。意外なところでつながって胸が躍る。

今はまだ、私の中をぐるぐる駆け巡っているだけのそんな喜びを、いつか広く共有できたらいい。もっと知識を得て、言葉を得て。そう遠くない未来に。

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夫婦でふにゃふにゃのしわしわにした『芸術起業論』の文庫本。読み終えてすぐ、続刊の『芸術闘争論』を買ってよ、と夫にメッセでせがんだら、「もう宅配ボックスに入ってるよ」とのこと。一緒にアートを楽しめる幸せを、今日も噛みしめる。


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