<美文字ノ素>書写ト書道ノ授業⑤
書写ノ立チ位置
前回は書の芸術性について書きました。
実用ツールである文字を素材に、形や、道具、線の潤滑や太細などさざまな工夫をこらして「意図」や「想い」をのせて表現すること、それによって書く人・見る人が互いに刺激し合うことに書の芸術性があると考えられます。
では小学校・中学校で学ぶ国語科書写。
芸術として書の同じ素材、道具を使用しながら「文字を丁寧に整えて書く」をめあてとした書写が国語科としてあるのはどういうこと?そしてなぜ丁寧に書くことを学ぶのか?
私は下図のように考えています。
まず、ブルーの円は、一番最初に書いた部分です。
言語として文字の存在意義である「正確に情報を伝える」という部分です。
殴り書きでもなんでもよい、とにかく、のちの自分がわかればいいし、他人に正確な情報が伝えらればいい。ある意味では特段上手い必要はないとも言えます。
そしてレッドの円は「読める」「情報を正しく伝える」というよりは「感じる」というアートの部分。
そして書写はその両者の要素を兼ね備えた紫色の部分と考えています。
誰かに文字で情報を伝える時、それは実用的な文字の使い方にはなりますが、相手のことを思って、もしくは相手にどう見られるかを考えて、文字(手紙など)を書いた場合、それは想いを込めた芸術の一部でもあるのではないかと考えているためです。
たとえば女子の友達同士なら、キーワードはカワイイ。やっぱり丸字の方が可愛くて共感できる。それはめちゃくちゃわかるし、その通り。カワイイと思われたいし、言葉のチョイス、スラング、それらにしっくりくるイケてる文字で書きたいと思うのは当然のこと。「やばみ」が達筆過ぎてもそれはそれでやばみ〜!!
じゃあ大切な人へのメッセージだったら?
どんな字だったら少しでも好感を抱いてもらえるか?やっぱり字はきれいな方が魅力的?汚かったらちょっとがっかりされるかな?
大切な恩師へのお礼の手紙だったら?
読める字というよりは少しでも美しく書きたい。
謝罪の手紙だったらどうだろう?
「伝えたいことを文字にする」
その行動自体は、どのケースも同じですが、届ける相手によって、内容によって少しずつ文字を書く心構えが違ってはこないでしょうか?
また、受け取る側にも、書かれた文字、文章と同時に、その筆跡による心の変動が少なからずあるのではないでしょうか?
言葉に、より気持ちを込めて表現するのが書であれば、丁寧に書いて誠意を伝えようとするのもまた書道。出来ることなら、相手に合わせて、状況に合わせて、その場に応じた文字が書ければそれに越したことはないですよね。
つまり、文字を丁寧に書くこと
それは、
「元気にあいさつをしましょう!」
などと同じようなことと思います。
あいさつ
それは大事なコミュニケーション
同じ「おはよう」でも元気なのかそうじゃないのかで
受け取る気持ちは全然違う。
でも「ごめんなさい」はあまり元気過ぎてもおかしいですよね。
それぞれの言葉に応じた適切な表現方法があるものです。
これらのことから、
文字を丁寧に書くこと=礼儀
それは文字を伝える相手への礼儀であると思うのです。
ただ、文字は、(子ども時代は特に)自分が自分のために書くことが、圧倒的に多いので、どうしても自分よがりの文字になっていきます。自分のなかで完結する事柄(授業のノートなど)においては、それで、困ることはほとんどありません。私も字を指導する立場ですが、毎回学校のノートもきれいに書きなさい!とはいいません。(第一、本気で丁寧に書いたら、書くのに一生懸命で授業内容が頭にはいってこないかも笑)実際、私の走り書きや、メモ、ノートだって決してきれいとは言えないです。書家だと思うから上手そうな気がするだけです笑
しかし、いざ誰かに宛てて丁寧に書こうとなると、ある程度整った字を覚えておかないとなかなかうまくいかないものです。
だから書写の授業で整った正しい文字を学んで、日本人らしい礼儀に乗っ取った美しい文字を練習しましょうということなのです。国語の一環でありながら、道徳のような要素もありますね。
要は丁寧に書かなきゃいけない時に、丁寧にかける技術!!それを身につけておくこと。これが大事です。
書写で相手への礼儀を表す美しい文字を
書道で熱い想いをのせた美しい文字を
それぞれに楽しんで、
素敵な書写・書道ライフにしていただけると嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。サポートいただきましたご厚意はキッズ書道パフォーマンス育成に使わせていただきます。