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メガネ歴20年、見えているものが全てではないと気づかせてくれた視力の小話
先天性というわけではないけれど、幼いころから視力が弱い。キスしてしまうほど近づいてもなお相手の顔はぼやけているほどの近視です。
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いつかの結婚式ヘアアレンジ
小学校2年生の衝撃
わたしのメガネ人生は小学校2年生で幕を開けた。春の視力検査でD判定が出たのである。小さな規模の学校だったので、検査は保健室で出席番号順に行われた。「C」の兄弟姉妹、ときに従妹が並んでいる検査表も眼科にあるような光るものではなく、壁に貼られた大きな1枚の紙切れだった。
メガネ=お金がかかるものというイメージがあったので、幼いころからもったない症だったわたしはできれば良い判定をもらいたいと思っていた。
小学1年生の検査では出席番号が1つ前の小山くんの声に耳をすまし、難なくA判定を手にした。それがなぜ翌年に通用しなかったのか。それは単純な理由で、不運にもたのみの綱の小山くんが転校してしまったのである。
わたしの前は赤いメガネがよく似合うさきちゃんになった。ただ、彼女がメガネをかけるのは理科のビデオを観る時だけだったので、その日の検査は裸眼で受けていた。彼女の検査結果はC判定。わたしはあっちゃあと思った。ノーヒントで打順を迎え、しっかり三振。かくして私はD判定を余儀なくされたのである。
家に帰るやいなや、母にメガネ屋へ連れ出された。検査結果を隠蔽しようとしていた私は、なんで、なんで、と涙目になっていた。どうやら担任の先生が連絡を入れていたらしい。たったの1年でA判定がD判定まで急降下したのだから、心配になるのも仕方あるまい。
メガネ屋には痩せたおじいさんがいた。ぼやけたりはっきり見えたりする気球を数分間眺め、妙なスポイトで眼球に空気をかけられた。なにこれ?と思いながら検査を終えると、おじいさんはふぅむと頷き、発明家がかけているようなごついメガネをカチャカチャと調整しはじめた。
てきぱきとレンズを入れ替え、ほれ、試してみろという表情でこちらへ差し出した。わたしは眼鏡のつるをゆっくりとこめかみにすべらせ、耳の後ろへ引っ掛けた。
「あ、みんなにはこう見えてたんだ」と、感動か驚きか、とにかく衝撃を受けた。窓の外へ目をやると幹の先に小さな葉が集まっていた。嘘のような話だけれど、わたしはずっと地面に落ちている葉の出所が木だということを知らなかったのだ。幹の先に広がっているのは、幼稚園のお絵かきで描くような、緑色の塊にしか見えていなかったからである。
おじいさんは「びっくりしたでしょう、あなたくらいの年齢の子は、みんなびっくりするんだよ」と笑っていた。5年後に控えるコンタクト人生の幕開けを、その時のわたしはまだ知らない。
そんなこんなでメガネをかけはじめて20年。メガネにせよコンタクトにせよ、視力矯正なしで世界を見たことはほとんどない。
見えているものだけが真実ではないと常日頃から思っているけれど、その根底にはものごころついたころから矯正器具を介してしか世界を見ることができていないという自覚があるからなのかもしれません。