あらがったっていいじゃない。
ここ1年間でなん度も、ふらりと姿をみせる問題がある。その問題にまた、思いもよらないところで肩をたたかれた。あまり目を合わせたくはないのだけれど、強くたたかれたせいで振りかえってしまった。
それは、「花束みたいな恋をした」の上映中のこと。
(以下の3文にすこし、ネタバレを含みます。)
菅田将暉さん演じる麦くんが就職を通して、"すき"を失くしてゆくシーン。これまで小説にイラスト、音楽を、サブカルを愛してやまなかった彼。同じ趣味を持つ彼女の絹ちゃんとの「生活の現状維持」のために仕事をはじめたはずが、いつしか麦くんは仕事一色に。
上映後、しばらく動けなくなってしまうのは、「愛がなんだ」以来。余韻に浸るどころか、呑みこまれてしまったよ。はやく冷たい空気を浴びたくて仕方がない。あのときとおなじで、外は真っ暗。そんなこんなで車に乗りこみ感想を話していると、いつのまにか涙が。
ここでひとつ、きょうのひとこと。レイトショーは爽快感の溢れるアクション系に限る。
こわいなあ。すこしの影響でかわってしまうような脆いわたし自身も、人を当たり前のように変えてしまう社会も。
わたしも歳を重ねてみえるものが広がるにつれて、いつしか、いま素敵だと思えていることが、くだらないと思ってしまうのではないかと、こわくなる。いまの自分を置いてけぼりにしてしまいそうで、悲しくなる。
けれど、にんげんってそういうものだよね、とも思う。
それでもわたしはあらがいたい。いくつになっても、どんなとこにいっても、まっさらな心でめいっぱい感動したい。おばあちゃんになっても、ディズニーランドで目を輝かせていたいし、日向ぼっこしながらてんとう虫を愛でていたい。もう一度おなじ本を読んだら、すこしだけ意味がわかるところがふえてて、嬉しくなったりやっぱりこの本いいなと思ったり。
いま備えている感性を失くさないように、たいせつにしたいなあ。