![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/47956636/rectangle_large_type_2_fb93743594f7edbf6a78e5878707aae3.jpg?width=1200)
“こんなはずじゃなかった”日々
かけあしで日々が過ぎていって、気づけばもう3月半ば。とりわけ今年は、年明けからの時間のはこびがはやくて、はやくて。どこにいても時計の秒針の音がついてくるような毎日。
毎朝、時計に耳元で
「あれも終わってないんじゃ?これもしなきゃいけないんじゃ?」
とチクタクささやかれているようで。
こんなはずじゃなかったのだけどなあ。
今年度は大学の授業はすべてリモートで、学校に通うことは1日もなく。もっというと、1月からは春休みなので“しなければいけないこと” は特になにもなく。
そう、だから春休みは毎朝、感覚だよりに目を覚まして、ベッドの上で紅茶でも嗜みながら、ころころ小説を読もう、とイメトレをしていたのですが、どうしたことか、そんな妄想とは程とおい “毎朝” に。
(“どうしたことか”っていうことばをよく口にしてる気がする。それだけ想定外のことが多いのか、もしくはよく考えてない結果なのか。)
だけどどこかに “こんなはずじゃない” まいにちを楽しんでいるわたしも居る。毎朝、紅茶片手に小説を読むつもりだったのに、せこせこと身支度をする毎朝もね。
(最近飲んだ種までかみしめるキウイ★★☆)
どうなるかわからない、ふらふらと不安定なつぎの瞬間に、つかめない大きなエネルギーを感じて、そこに身を投じてみたくなる。
“こんなはずじゃない”が笑いになることならいいのだけれど、笑えないことだってある。
最近気づいたのだけれど、わたしには俗にいう楽観的なところがあり、良くも悪くも“こんなはずじゃない” ことがあっても「なんとでもなるだろう」と思ってしまう。
いちばんの悩みのたね。楽観的とノープランは違うはずなのに、同じきがして、自分自身をごまかしそうになってしまう。
思い通りにいかなくても、なんとかなるだろうと、次に向かう先をつくれるのが楽観的な人。ノープランな人はつぎのゆき先をつくれない。このタネがすくすくと育つまえにはやく刈り取らないと。自戒も込めて。
ショッピングモールや電車の広告、ふと耳にする音楽も。街の至るところを桜色の新生活ムードが包むなか、わたしもお引越しの準備をはじめました。
あ、卒業された皆さん、おめでとうございます。
わたしは大学4年生になります。
こんな世の中で先のことなんてわからないからこそ、楽観的に。
けれどプランは入念にね。
いいなと思ったら応援しよう!
![しお](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44194011/profile_6cecb786c3ec6630458a2acf66ced8c6.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)