与えられるモノが増えれば増える程不安はどんどん小さくなっていく
50年近く生きていると
本当の『安心感』って
いざという時に
『何を得ることができるのか』より、
いざという時に
『何を与えることができるのか』
なんだと気づきはじめます。
別の言い方をすれば
『世の中から必要とされる存在になる』
ということ。
与えられるモノが
増えれば増えるほど
不安は小さくなっていきます。
これからは業種や
仕事の枠で考えるより、
何をすれば人から必要とされるのか。
そう考えるべきだと思っています。
だから、ぼくは肩書きもないし、
特定の業種にもこだわりません。
必要とされることをやるし、
何をすれば『世の中』から
必要とされる人間になれるのか
という視点で常に生きています。
仕事のカテゴリーという概念や
壁はいつの間にか僕の中から
なくなりました。
『仕事の枠』を超えられない。
は今、一番のリスク。
ぼくが意識していることは
『正しさ』に縛られないこと。
こうあるべきという
『正しさ』って
結構、足かせになることが多い。
『正しさ』より『楽しさ』
そう思っています。
『正しさ』は誰かが知っているけど、
『楽しさ』は自分しか知らない。
ぼくはイベントを何百回と
主催してきて、感じているんですが、
すごくシンプルで当たり前の話、
人は『楽しいところ』に
集まるんですよ。
それはいつの時代も
変わらない世界共通の不変の法則。
『何がそんなに楽しいんですか?
私も仲間に入れてくださいよ』
自分が楽しく過ごしていると
『人』や『情報』が雪崩のように
勝手に集まってきます。
だから、
今、一番、自分の身を守るために
必要なことは
『生きていることを
とことん楽しむこと』
そう思っています。
でも必ずしも
『楽しいこと』は
『楽なこと』とは限らない。
『楽なこと』って
結構『つまらないこと』だと
思いませんか?
朝起きて、何もやることが
ない日が数日続くのが
一番、しんどかったりする。
楽しく過ごすって
すごく難しく
感じてしまいがちですが、
意外と簡単なんです。
楽しく生きている人と
常に一緒に入ればいい。
それだけです。
『脳みそ』が自然に
上書き保存されていきます。
そう思っているぼくは
日々『新里哲也』という商品を
つくっているという感覚なんです。
どんな状況になろうとも
『自分という商品』が
必要とされる存在であれば、
絶対大丈夫。
個人であれ組織であれ
同じなんじゃないですかね?
いざという時に
『何を得ることができるのか』より、
いざという時に
『何を与えることができるのか』
そう思いませんか?