書評:カール・ヤスパース『哲学的信仰』
ヤスパースが哲学的に考察した「信仰心」とは如何なるものか?
今回ご紹介するのは、カール・ヤスパース『哲学的信仰』という著作。
①ヤスパースとその思想について
ヤスパースは、日本でも知名度は高いものの、同時期の他の哲学者に比して日本では文献がが少ないように思われる。
ヤスパースの哲学は、厳密に区分するならば哲学よりもむしろ思想に近いものと言えるかもしれない。
ヤスパースは、カント的な限界(「認識、認識の諸形式としての悟性、およびそれに基づいてなされるところの理性」の限界)に立脚しながらも、その限界外にあるものに対する姿勢(これをヤスパースは「信」と捉える)がその人の生き方に大きく影響することを重視し、「信」についての思索を積み重ねた人であると言えるだろう。
故に、「超越者」や「包括者」など、論証不能な概念が持ち出され、教条めいた色彩を帯びる節があるのだが、認識や論理を超えた事物を知の対象とする以上、それは仕方のない部分でもあるだろう。
むしろ人間が行為や判断に至る際の「確信」の重要性やメカニズムに光をあてた人物として、評価されるべきだと私は考えている。
知の認識論的限界、これは哲学そのものに対してもメタ次元を形成しており、即ち哲学の限界をも示唆するものだ。
そう、人間は哲学的思惟のみで生きているのではないのである。
②本著について
本著は、ヤスパース哲学の核心に迫る著作として位置付けられ、彼の提唱する「哲学的信仰」なるものが、伝統的形而上学や宗教と比較対照される形で論証が展開される。
「信」に関わるものである以上、「人は如何に生きるべきか」というテーマに迫らざるを得ず、非常に啓発的であることも特徴の1つだろう。
「哲学的信仰」は、「弁証法的哲学」だと言うことができよう。目指すところは「他者との交わり」「対話」にある。
③感想
前述の如く、人間は理性のみにより判断し行動するわけではなく、何かしらの信念や確信に基づいて行動する側面がある。
極めて乱暴な整理となるが、現代の「信」を取り巻く状況を概観することが許されるならば、一方では主に自然科学に基礎を置く科学技術の発展がロゴスの優勢をもたらしており、他方その反動としての原理主義の跋扈がここかしこに見られる。
「信」をめぐる時代的状況は二極化しているように私には思われる。
だからこそ、「信」を哲学的に探究することが必要な時代なのではないかというのが私の考えであり、大きな思索テーマの1つとなっている。
論証は究極不可能であるとしても、「信」のメカニズムや影響力に光を当てた思想は、「信」が人間の動機・動力の一部を成す以上、人間にとって欠いてはならないもののはずである。
その論証不可能性のため、本著も説得力という点では眉をひそめたくなる部分もあるものの、その点を汲めば非常に啓発的な内容だ。
それは、「如何に生きるか」というテーマは、人間の実践論的には「如何に考えるか」以上に「如何なる確信を抱くか」に依拠するからだ。私はそのように考えている。
ところで本著についての補足だが、本著は解説が非常に充実している。
実に50ページ程の解説となっており、ヤスパース哲学の全体観と本著の位置づけが一望できる内容となった名文である。
ヤスパースを知るにための最適な文献としてお勧めしたい。
読了難易度:★★★☆☆
人間意識における「信」の照射度:★★★★★
ヤスパース哲学概観把握度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★★☆
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