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書評:佐々木毅『政治学講義』

私の読書遍歴上の至宝

今回ご紹介するのは、私の人生の名著No.2に君臨する、尊敬する政治学者佐々木毅先生による『政治学講義』という著作だ。

※因みに、人生の名著No.1はドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、No.3は大沼保昭先生の『人権、国家、文明』という国際法学の学術書である。

本著は政治学の泰斗佐々木毅先生による、政治学の教科書である。
学生時代私は法学部生で、法律に加え政治学も履修し、当時発刊されたばかりの本著が教科書であった。

本著には思考と論理、文筆に対する著者のスタンス(「ものを考えるとはどういうことか」「論理とはどう構築すべきか」「それらは文章としてどう表出すべきか」等)が一切の妥協なく染み渡っており、強烈な知的感動を覚えた。

本著から特に影響を受けたのは大きく以下の2点である。

❶メタ思考

本著を読んで伝わるのは、著者自身の思考力の根底に「ものを考えるとはどういうことか」という、高度に鍛錬された「思考そのものについての思考(メタ思考)」があるということであった。

「思考」のサブレイヤーにある「解釈」「分析」「推察」「考察」「検証」等の一連の思考技術のあるべき姿が、著者の中で丁寧に定義されていることが本当によく伝わってくる。いい加減な使用は一切なされない。

本著は思考を巡る「定義系」と「実践・活用系」の宝庫なのだ。

私が仕事などで真面目な文章を書く際は、「佐々木先生ならどのような考え方を辿り、書き方をするか」と常に意識している。言わば私の思考と文筆の「フォーム」を本著から頂いたと言っても過言ではない。


❷面状の論理構成

比喩的な表現となるが綴ってみたい。

通常「論理的」という言葉のイメージは所謂演繹法的なもの、「こうだからこう」、「AだからB」というものが代表的だろう。
これ自体が論理的であることは些かも否定するものではないが、こうしたシンプルな演繹論理というのは「単線的」で、基礎の基礎である。

しかし政治学のような社会現象を取り扱う学問領域では、そうした単線論理だけでは通用しない。比喩を比喩で説明してしまいますが、「面状の論理構成」とは以下のようなイメージです。

1つの単線論理はあくまで1本の「糸」のようなもの。社会というのは単線論理で説明が付くことはなく、色んな事情が複雑に絡み合った、数多の「糸」が絡まった世界。社会の1本1本の単線論理の「糸」の絡まりを解きほぐし、それらを改めて織り成して「布」を形成していくような作業が、私のイメージする「面状の論理構成」だ。

本著には、布織り職人のような丁寧な論証が随所に見られ、これが論理的なるものかと驚嘆したものである。

巷には「ロジカルシンキング」の本が溢れていますが(私も読んで来ましたし役立つが)、単線論理の説明に終始するばかりで、「面状の論理構成」については必要性の片鱗すら匂ってくる書籍はない。断言する。

私はビジネスの世界に身を置く為、「面状の論理構成」の重要性が身に沁みる。現実社会はそれほど筋道立って説明できたり筋書き通りに進行したりしないものだ。突発的な出来事は常に起こり得る。単線論理はそうした突発要素を排除してしまうリスクと隣り合わせなのだ(抽象化という仮面を被った単純化という嫌味の1つでも言いたくなる笑)。「AならばB」という単線論理だけで論理構築を済ませることは、現実には殆ど実践的でなく、高リスクですらあるのだ。

1つの単線論理を軸と採用しながらも「Aがなくなった場合はどうなるか」「Aプラス何かしらの場合はどうなるか」など、色んな可能性をどこまで想定できるか、そしてそれらを1つのパッケージとして体系的に整理できるかという論理構成力が必要なのが、実践的論理力の世界だ。

別の言い方をすれば「リスク想定思考」と言えるのかもしれない。「単線論理」を揺るがすパターンを極力想定し、それらを面状に織り成していく。現実の問題に相対して行くにはこうした思考力が求められる。

こうした点でも私の思考の「フォーム」を頂いた。

本著は私の「人生の名著No.2」である。


読了難易度:★★★★☆(←教科書とは言え学術書なので).
思考と論理のフォームを学べる度:★★★★★.
直ちに役立つ度:★☆☆☆☆(←残念ながら巷のスキル系ではない).
トータルオススメ度:★★★★☆(←気持ちは5としたい).


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