書評:トマス・マン『トニオ・クレエゲル』
自尊心の二面性を巡るトニオ・クレエゲルの苦しみの本質とは?
今回ご紹介するのは、ドイツ文学よりトマス・マン『トニオ・クレエゲル』。
主人公トニオは、少年期からどこか世間から取り残されたような疎外感を抱く少年であった。しかしむしろその感覚を糧に、作家の道を目指し、一応の成功を成すことができと言える。
しかし作家として一応の成功を成したにも関わらず、超然たる画家リザヴェータから「あなたは俗人だ」と指摘されてしまうこととなる。この指摘に衝撃を受けたトニオは、自分探しの旅に出こととなった。
まずはかつて少年の頃、本心ではずっと憧れていた、俗世の象徴のような古き友人と共に過ごした故郷を訪れ、自身の中に秘め続けた本性と向かい合おうとした。しかし故郷では、結局自身の奥底の直視を恐れ、他所に避難してしまう。
だが皮肉にも、避難先でかつて愛した友人と女性を目撃することとなる。その衝撃から彼は遂に、自身が世俗的なものに対し憧れを持っていることを認めることとなるのだ。そしてそれは生涯憧れに留まるしかないものであることに気付いてしまった。
本作は、芸術家という存在が世俗と超然の狭間で引き裂かれるような思いを背負うことを描いた作品と言えるだろう。
しかし私は、この作品を芸術家に限って読むのはもったいないと思う。
きっと誰しも隔世感を味わう瞬間がある。そんな瞬間への精神的対処を描いた作品と読むことができるのではないか。
私の個人的考えだが、隔世感というものは、突き詰めれば環境や自身の芸術的性質によるものではない。極論、それは自尊心がもたらすものだと考える。中島敦が『山月記』で描いた「臆病な自尊心」に他ならない。
隔世感、疎外感から自律心を保つには自尊心が必要だ。しかしそもそも隔世感、疎外感を自身にもたらすものも、究極的にはこの自尊心だというのが私の考えだ。
どういうことか。
自尊心は、自律心の拠り所となる反面、自分を何か特別な存在であると思い込ませてしまう毒性もある、ということだ。
自尊心は、心の強さの源でありながら心の逃げ道でもある、というアンビバレントな心理だというのが私の持論だ。
ならば人間が人格的な成長を果たすためには、この二面的な自尊心を手懐ける必要がある。
トニオのように、自分の中に世俗への憧れという認めたくない感情が存在することを認め、受け入れる形(認知及び認容)は、自尊心を懐柔する具体的な方法の1つとなるだろう。
自分の弱さ、醜さ、凡庸さを認めること、そうした自己受容が二面に揺蕩う自尊心を手懐ける術となるのだと思われる。
トニオはそれに成功したか。本作の結末からは俄かには判じ難いが、彼が自身に潜む俗人性を認めるという難事を成し遂げたことは確かだ。
この作品は、隔世感、疎外感を感じる人を応援するものでは決してない。
そういう人の持つ「臆病な自尊心」を鋭く抉る作品だというのが私の感想だ。
読了難易度:★☆☆☆☆
自尊心の二面性表現度:★★★★★
自尊心について考えさせられる度:★★★☆☆
トータルオススメ度:★★★★☆
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