書評:藤原帰一『不安定化する世界 何が終わり、何が変わったのか』
国際政治の「時事」というフィールドにおける学者の知力と覚悟
本日ご紹介するのは、藤原帰一『不安定化する世界 何が終わり、何が変わったのか』という著作。
藤原先生は東京大学の国際政治の教授であるが、国際政治という学問分野では、理論化に力点をおくスタイルの方と、分析に力的をおくスタイルの方がおられる。
これらは共に大切な研究アプローチであり、そこに優劣はない。
ただ私の印象では、藤原先生は現在の分析に力点をおいて研究されるタイプの方と言えるだろうと思っているということをお伝えしたかったため、あえて分類を提示させていただいた。
そんな藤原先生の時事評論の集積の1つが、本著である。
本著は、朝日新聞にて2011年4月から月1回のペースでおよそ10年に渡り連載された藤原先生のコラム、『時事小言』が1冊にまとめられたもの。
「時事小言」といåうタイトルは、かつて100年以上前に福沢諭吉が評論に付したタイトルの1つであったようで、藤原先生はこの権威あるタイトルを敢えて選んだ理由について、「はじめに」で学者の矜持に触れつつ以下のように語っている。
「時事評論は、後出しジャンケン(既に終わった事件や決定を跡づけること)の特権を捨て、実務家と同じ「現在」における選択を議論する空間だ」
(中略)
「実務家とともに霧のなかのピエロを演じることにもなるだろう」
(中略)
「(福沢の評論)「時事小言」は、時代を感じさせる文章も少なくない。だが、執筆から100年以上を経た今も、福沢の言葉の緊張感には揺るぎがない。さらにいえば、自分の言葉で考えることのよろこび、いわば悦ばしき知が、どの文章にもあふれている」
(中略)
「もちろん福沢を気取る資格は私にはない。それでもあえてこの題を選ぶ理由は、書かれてから遠く隔たった後でも読むに堪える時事評論があり得ることを『時事小言』が示しているからだ。同時代に身を置いて現在の意味を探ることができなければ、学者をする意味はない」
このような覚悟のもと、国際政治上の時事問題の中から特にこのまま放置すれば状況が悪化する懸念が極めて高い事象に対し、問題の分析と提言を10年間に渡って続けてこられた、言わば学者としての格闘の記録とも言える著作ではないかと思われる。
事実の予測の次元においては、必ずしも的確に言い当てたものばかりではなかった。
例えば、トランプ大統領の誕生も、イギリスのEU離脱も、事前時点では現実性はかなり低いだろうというのが藤原先生の読みであったので、このように事象の予測を外した結果となる記述もそのまま残されている。
本著に敷き詰められた知恵はむしろ、国際政治・国際情勢を読み解くにあたって求められる、学者の本懐である「型」の重要性が遺憾なく発揮されている点にあるだろう。
〇事実・事象をどのように漏れなく抽出するか
〇それら事実・事象の重要度・影響度をどのように判断するか
〇懸念される未来に対しなされるべき手立てをどのように組み立てるか
どの記事においても、上記のような点が真剣勝負でなされていることがひしひしと伝わってくるのだ。
時事評論という言論空間においては、在野の論客が提示する言論にも確かに目を見張るべき視点や着想、提言が見られることはある。
しかしながら、学問という「型」に基づき、個人的な意見や価値判断を丁寧に避けながらも、価値判断を伴わせねばならない現実への提言を織り成していく藤原先生の言論は、正直「厚み」が違うなと敬服だ。
2021年はまだ四半期を過ぎたところだが、私にとって早くも今年の読書No.1に決定する可能性が高いと感じられた、名著であった。
読了難易度:★★☆☆☆
時事評論というフィールドの緊迫度:★★★★★
学問としての国際政治の「型」成熟度:★★★★☆(←理論紹介はなく活用・実践のみのため1つ減)
トータルオススメ度:★★★★★
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