毒親の母とボク、振り返り

画像1 母は、滅多にボクを褒めなかった。いつも、不機嫌そうだった。別に、母に褒められたくて、勉強していた訳では無かったけれど、やはり寂しかった。学校で満点を取って帰っても、母は、言った。学校のテストなんて満点取って当たり前、塾の復習なんだから、取れて当たり前よ、と。だから、いつも、満点か、チェックするだけだった。よく頑張ったねとか、言って欲しかった。頭を撫でて欲しかった。でも、そんな事を言えない空気だった。母は、学校の成績より、塾での成績だけを気にしていた。何で、等身大のボクを見てくれないの?悪い子なのかな?
画像2 何度も、自分を責めて、成績が、上がらないのは、努力が、足りないんだと。受験の為に、仕方無かったのかもしれないけど、母からのプレッシャーが、ボクの精神を崩壊させて行った。学校に行くと、皆んなから頭がいいと言ってもらえる。先生受けも良かったから、天狗になった。生徒会をやったのも、内申点のためだけで、不純な動機だった。校内を見回りしながら、トイレを覗いて、自分は、特別だと勘違いした。母は、愛情をかけ過ぎてグレる子供はいないと、ボクに事ある事に言ってきたけど、ボクは、自分の中の自我の芽生えが、遅れてしまったのは、
画像3 悪い事が、出来なかったからだと思ったりします。大学に行くまで、いい子の仮面を着けていたから、今でも、相手にとって、いい印象を持たれたいと、自分を偽ってしまう事がある。でも、自我を出して、嫌われたくなかったりもする。今だに、いい子でないと、怒られるんじぁないかと、不安に駆られる。母の亡霊が、そう言わせるのかもしれない。母は、亡くなる前に、資格を取って、会社勤めではない仕事を、と言った。士が付く仕事を兎に角、ボクに勧めた。弁護士、司法書士、青春をかけたけど、ボクは、叶えてあげれなかった。それだけが、後悔だ。
画像4 母と、二人三脚で、子供の頃から、英才教育、受験、仕事と、関わって来て、言えることは、母の存在が、大き過ぎて、全く自分を出すことが、出来ず、未だに、自分の本音を語る事が、苦手だったりします。と、いうか、自分が、どうしたいのか、訊かれても、決断出来なかったりします。恥ずかしながら、いろいろな事が、決められないのです。人に言われて、渋々決める感じです。もう母は、いないのに、どうしても周りに決めて貰わないと、動けないのです。長年の習慣を、変えることは、難しいのです。そんなボクを支えてくれる彼女に、感謝しています。

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