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『反応しない練習』 草薙龍瞬

人が悩んでしまう理由の一つに『判断しすぎる心』にあります。


「判断」とは、

この仕事に意味があるのか?
自分の人生に意味があるのか?
彼と自分を比べて自分は優っているとか、劣っているとか?

そんな、「決めつけ」「思い込み」のことです。

「どうせ自分なんて」
という自虐も判断。
自分自身に対して良くないという判断を下している。

「失敗した」
「最悪」
「ついてない」
という失望や落胆も判断。

「うまくいくかな?」
という不安や尻込みも判断。

「あの人はキライ、苦手」
といった人物評も判断。

こうした判断は、
不安・憂鬱・心配事など
たくさんの悩みを作り出します。

もし、判断をしなくなれば、
心はすっきりと軽くなります。
人生はスイスイと渡りやすくなります。


判断はもともとは、頭の中に存在しなかったはずです。

親や先生、友達、世間に溢れている情報を通して、
『こうでなければいけない』
という判断の仕方を学んだのでしょう。

「こうなければならない」という
自分の人生や、相手への期待もそれだけならただの判断。

それは頭の中にしか存在しないから『妄想』です。

妄想とは真実でないものを真実であると誤って考えること

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A6%84%E6%83%B3_%28%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%9D%E3%81%86%29/#jn-218585

妄想にすぎない「判断」に執着して、
今なお、自分や相手を苦しめている。
もういいかげん、そんな妄想から自由になろう。

「こうでなければ」という判断、期待は「勘違い」です。

では、なぜ人は、自分のこと、他人のこと、
人生の目的や生きる意味まで、
あれやこれと「判断」したがるのでしょうか?

①判断すること自体が気持ちいいから。
判断するだけで『分かった気』になれます。
結論が出せた気がして、安心できるのです。

②『認められた気分』になれるから。
例えば、誰かと喧嘩をしたとします。
「あの人のここが間違っている」と振り返る事がありますね。
それを友達に説明して、あなたは間違っていないと、
第三者のお墨つきをもらえる。

ということは、判断には
分かった気になれる気持ち良さ
自分は正しいと思える快楽
があるのです。

だから、みんな判断することに夢中なのです。

判断がただ気持ちいいだけならなんの問題もありません。
しかし、判断はときに『猛毒』になるのです。

いい大学に行けなかった。(事実)
⬇︎ 判断!!!
だから、自分には価値がない。

いい大学に行けなかったのは事実としてある。
しかし、その事実のもと、
『自分には価値がない人間だ』と判断する事が苦しみを生んでいる。
この判断が「執着」となって自分を他人を苦しめている。

人は三つの執着によって苦しむ。

①求めているものを得たいという執着
(だが、かなわない)

②手にしたものがいつまでも続くようにという執着
 (やがて必ず失われる)

③苦痛となっている物事をなくしたいという執着
(だが思い通りにはなくならない)

では苦しみが止むとはどういう状態なのだろうか?

それは、苦しい現実そのものではなく、
(苦しい現実に苦しめられているのではない。)

苦しみの原因である”執着”が完全に止んだ状態なのだ。
(執着が苦しみの原因である。)

心は、サラサラと流れ続ける小川のように、
苦しみを残さないはずなのに、
執着ゆえに、滞り、苦しみを生んでいるのです。


判断しないためには?


①『あ、判断した』という気づきの言葉

そもそも、私たちに、誰かをいい人、
悪い人と判断する資格はあるのでしょうか? 
それは必要のない判断ではないだろうか?

人は自らの心を整えず、あれこれ判断して、心を失っている。
あちこち、目をやって、一体何の役に立つのだろう。
自己にこだわる意識を抑え、人の評価を追いかけずに、
自らの内をよく見るのがよい。

修行僧テーラガーター

②自分は自分と考える
自分の心は自分で選ぶこと、決めること。
常に自由で、独立して考えなさい、というのもブッダの思考法。

③素直になる。
自分は正しいという"慢"の心に固まってしまうと、周囲との間に『壁』ができてしまいます。そして、人と分かり合えなくなります。
そして苦しみを生みます。

この苦しみは、「自分は正しい」という思い込みが原因なのです。
「自分は正しい」という思い込みは誰も幸せにはしません。

「正しい自分」でいるより、「素直な自分」でいる方が
魅力的だと思いませんか?

自分を否定しない。どんな時も。

自分の価値を測ってはならぬ。
その思い(判断)は、喜びには繋がらない。
「自分は優れている」とも、
「劣っている」とも、
「等しい」とも判断するな。
さまざまな言葉を受けても、自分の価値を判断しないようにせよ。

スッタニバータ

この本を読んで

あの人はいい人だ
あの人は悪い人だ
あの人は優しい人だ
あの人は意地悪な人だ。

そんな良い評価も、悪い評価も、
してしまっていたな〜ってこの本を読んで思った。

そして、自分自身に対しても。
こんな自分ではいけない。
頑張っている自分は凄い。

そんな評価が自分を苦しめていたのでは?
そんな事を考えさせられた。

そもそも、良きも悪いもない。
全ては現象として起きて、過ぎ去っていくだけ。
そこに、自分達が良いことだとか、悪い事だとか、
勝手に判断して、感情を乗せて、ワーキャー言っているだけ。

時代が変われば、場所が変われば、
評価される人や評価される事は変わっていく。

判断とは凄い曖昧なものでしかない。

ついつい判断してしまいがちな自分を悪いと判断せず、
そんな自分もいるんだな〜と思ってゆるーく行きましょうと
思った次第です。

終わり。


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