振られるのも怖かったし、なんかもう、全部嫌だった。それを受け入れられない自分も、ちょっと背伸びをしちゃう癖のあるこの性格も、 絶対振られるのはわかってた。あんなことやっといていまはいそうですかは流石に都合が良すぎる。ダサいことやってるってわかってたから保身に走ったし、自分自身が虚栄で出来ていること、その全てを理解していた。 もう変わらなきゃいけない節目に立っているのはわかっているのに。 辛い時は休んだほうがいいとか、前をむき続ける力を持つのは大切だとか、どっちだよ世の中
高校生の頃を思い浮かべると、あの頃好きだった男女グループの存在を思い出す。夏真っ盛りで、夏期講習中だった。ともかく周りとの差別化を図りたくて、自分だけは特別でいようと、必死に優越感を求めていたと思う。 太陽の日差しだけじゃなく、あの頃は全てに光が差していたように思う。無機質な色でできた壁、どこか閉鎖感を覚えていた教室も、どれも暗がりの思い出の部屋にはいない。 確かにあの時間は光っていて、もう帰ってこないもので、だからこそ儚い。 終わりのあるものはいつだって綺麗だと思う。
出会いと別れが入り混じる季節がやってきた。 別れって寂しいんだけど、ちょっといいなって思う体験があった。 去年の3月ぐらいからお世話になった先輩がいて、この一年間色んなライブでお世話になったんだけど、正直本当にそれだけの関係だった。 特にどこかに行こうという話が出るわけでもなければ、何か共通の趣味があるわけでもなく、 ただライブであって、一緒にお酒を飲んで、お互いの演奏を褒め合う 今思えば、これが理想の形だったような気がする。 言葉でまとめると端的に感じちゃうけど、
桜がもうすぐ咲きそうで、少しずつ冷たい風が生暖かくなってきた。 春は、俺が季節の中で一番好きだ。 3月は何かが終わって、4月から新しく始まる。 何か役目をまっとうした人たちが、どこか悲しそうで、けれども満足な目をしてその場を去っていく。 生の美しさは、ここに詰められているように感じる。 この人達にいかにお世話になったか、逆に自分たちが次につなぐ人達に何を残せるのか、そんなことを考え、感じるのが好きだ。 悲しいとか、また会いたいとか、そういう感情で埋もれるのがきっと
あーーーテスト期間つらい、人生忙しい。 気分転換に久々に読んだドメスティックな彼女の感想でも書こうかな なんか、ナツオってめちゃくちゃ俺と似てるなって思った。 モテ男を気取りたいわけではなくて、なんというかあの優柔不断さで女の子を振り回しちゃうけど、悪気はなくて、親切にした結果がそうしてしまうところがすごく分かるなと思った。 女子との距離感ってめちゃくちゃむずかしいし、その具体的なラインを超えないようにするには親しくしようっていう意識があるとダメなような気がするな。自
人は、どうしてこうもうまく生きれないんだろう。 そんなことはわかっていても、前に進み続けなきゃいけない。布団の中で昼を無駄にしようとしても、現実は変わらず、恐ろしい朝だけが襲いにくる。 浴びるような日差しは、机にかかったギターを突き刺すように照らしている。 まるで自分に逃げるなと、追い込みをかけるように。 音楽はいつだって楽しい。ライブハウスで自分を見にきてくれることが嬉しい。そこから広がる人間関係も含めて大好きだ。 今の俺にとってそれだけが全てで、変わることもない
人と比べるのが常な世の中、何か嫌なことがあると他人の要素を自分のものであればいいと思うことは多々あるだろう。 人は、初めから完璧でないという真理に気づくことはそんなに難しいことだろうか。 多分今自分が憧れているあの人は、きっとそういう葛藤もありながら、足りないところを探して埋めていく作業をひたすら繰り返しているだけにすぎない気がする。 みんな、自分自身と向き合うのは嫌だし他人と向き合うのだって気後れするとおもう。 俺だってそんなの嫌だし、ずっと逃げていたいと思う。
人間関係っていうのはむずかしい 自分の指標で物事を測ろうとしないで生きると、つまらない人間であるとか、軸がないだとか、そういうふうに見られてしまうのに、自分の指標に頼り切って生きていると、傲慢だとか非情だとか言われる。 何事も中庸が一番だと、古来のアカデミアは語るが、そんなもの誰にもわからない空想のものであると言い切った方が気分がいい。 結局、人は一度自己指標に絶対的な自信を持った上で行動し、そこで失敗を学ばないわけには成長の機会は得られないのだろう。 大人の余裕や落
人を平面上の存在だと捉えることは必ずしもそうとは言えないが、基本的にはおすすめできない。 人の人格は、立方体でできてるように感じる。 しかし、二次元で捉えがちな俺たちは、結局その自分が見ている視点を一つのものだと疑わないように感じる。 例えば、陽気でコミュ力が強そうな人間に見えても、家庭環境は荒れており、その反動としてその人格が出ていたもので、内面は暗く、陰鬱な雰囲気に覆われていると言ったところだろうか。 それだけではない。 どんなに謙虚そうで、断りづらそうな人格に見
なんか影響されたから小説風高校生活を書きたい。 このシリーズは(多分今回でやめるけど)俺が高校生活にあった出来事を小説風に書き綴っていく物語です。 メンバー紹介が必要な場合は先に書きます。 それでは本編。 暑い。袖の下から水滴が流れる。 お世辞にもオシャレとは言えないスクールバッグの重さが、天気予報のサイトに示された気温よりも高く感じさせた。 昨日までの大学生活から一転、気がつくと僕は、8月の、忘れられない夏の真っ只中にいたのだった。 信じられない。これは、人生
子どもの頃は、よく空を見上げていた気がする。 時間に追われることがなかったからか、何か自分のしたいことに我儘になって疲れたら、ぼうっと窓の向こうに視線を向けていた。 青色を見ていたのは、まだ幼稚園に行く前の何も知らない自分。 茜がかった空を見ているのは、夏祭りに行く前の自分。 日差しがちょっと鬱陶しい空の青さは、下校時の高校時代。 大人になった今、あまり空を見上げなくなった気がする。 目の前の課題、やらなきゃいけないことを常に見つめていて、視線は空を向けていながら、
生い茂る木々と、少し熱を含んだ風が、夏を感じさせる季節になってきた。 最近は通り雨が多いから、止んだ後のじんわり残るコンクリートの匂いが、懐かしさを彷彿させる。 ああ、青春のまっただか中にいたんだなあとしみじみ感じながら、奇怪じみた講義室の席につく。 眠気も残り、今日は何しようか、今後の予定に合わせてこれをやんなきゃとせかせかしていると、ザワザワしだす学生の音に、迫る中間テストへの焦りを感じさせられていた。 俺は今、間違いなく今を生きている。 生きていくにつれて、世
春になる。 まだ小学生だったあの頃は、別れに対する認識は薄かった。 不思議と一生の別れのような気もしなく、一つのステージを過ごしてきた友達と新たな場所に行けることに高揚感すら覚えていた。 昔から、桜は好きだ。刹那的な植物としての営みが、哀情や惜しさを高揚感に塗り変わえていくようで、美しいなんて思ったりもする。 中学、高校の終わりになって、もうこの場所でしかできないこと、もう今となってはできないことに悲しさを感じていた。 でもそうやって生きていくもんだとこの頃から少しず
最近大人になってきたなあという実感が増えていくとともに、色々感じていくものが薄れていくのを感じる。 人は歳をとるにつれて、感動が薄れていくんじゃないかと思う。 いろいろなことを経験してしまうと、あの頃のようなワクワクや興奮はもう2度と味わえないのではないか。 それが積み重なっていくと、なんだか自分自身には趣味がないだとか、生き甲斐がないだとかなど、なんとなく自分の人生が希薄になるような感覚に陥る。 生きていくということは、感動を忘れていくこと? じゃあどうやって生き
特にこの文章には意味があるわけじゃなく、ただ一人の大学生がごちゃごちゃ呟くだけ 人が成長する瞬間、って一体どこにあるんだろうか。 苦難を乗り越えた先に発見があるのか、はたまた過程の最中に変わっていくものなのか。 俺の中の答えとしては、今何か打ち込むものを全て終えた際に、それが後の人生の一見関係ない部分でようやく形として現れる時だと思います。 つまり最大限成長するという結果を残したいなら、どれだけ今自分自身が立ち会っている困難と向き合ってそれを乗り越えていくかに限ります
一昨日は俺にとって大切な人生の1ページになりました。 まず朝起きて、今日は空の雰囲気がちょっと不思議だなって思ったのが印象的な始まりでした。 俺は小教室でYouTubeみるのがバカらしすぎたのが理由で成人式には行ってないんだけど(マジでこれ後悔してる)、ちょっと懐かしいような、けど新しい感じがしてワクワクしてた。 会場の池袋に着いた時に、真新しいスーツを着てる人の集団を見かけるたびに 「ああ、今日の自分達は特別なんだな」 ってのを頻繁に感じては色々な人と会うことの緊