noteを始めてから激動の日々
2024年の1月末にnoteを始める
就労移行支援施設での日々の日記と、うつ病と不安障害といじめのPTSDのカウンセリングを残す為に始める
2月
1日 障害者福祉サービス受給者証と精神障害者保健福祉手帳の手続きに役所へ
19日 就労移行支援施設への正式通所開始
28日 午前中精神障害者年金の説明や病歴就労状況等申立書の書き方を聞きに役所へ、午後から就労移行支援施設へ通所、私がいない間に父から出て行けと言われた母が家出して警察に保護される、母が家には帰らないのでホテルに泊まる
3月
1・2・3日 母の泊まるホテルへ行って荷物を届けたり役所の人と話したりケアマネさんに助けてもらったりして、母が保護施設に入所
4月
6日 病歴就労状況等申立書を書き始める…精神的に苦痛
19日 私が就労移行支援施設を辞める原因となる女性就労移行支援員がB型通所者の個人情報を使って「あなたは恵まれている、3食食べられているでしょ」と言われる…他にも公共交通機関は駄目で徒歩は大丈夫なんですね?とかうつ病や不安障害に理解の無い発言が増える
26日 女性統括責任者の方に女性就労移行支援員の個人情報を使った指導について苦情を入れる
5月
7日 女性統括責任者から苦情の回答をされたが到底納得出来ないものだった、あなたの事を思っていった・期待しての発言だったと自分の強い言葉を正当化しようとしている女性就労移行支援員の言葉をそのまま伝える女性統括責任者に呆れるし同じ考えなのかと理解出来なかった
10日 女性就労移行支援員からダブルバインドを受ける
21日 私の気持ちをノートに書いてやり取りをする事になる
女性就労移行支援員に「私の間違いを注意してくださってありがとうございます、今後ともよろしくお願いします」と伝えたら、「注意はしません、クレームと言われたくない」と指導拒否とも取れる発言をされる
22日 就労移行支援施設へ行きノートに女性就労移行支援員の指導拒否とも取れる発言への怒りと女性管理者の通所者の自宅情報を使った会話に対する不満を書き殴って男性職員に渡して母の入所施設へ行く
23日 母の入所施設へ行き入所手続きを済ませる
女性統括責任者から呼び出されて話したいと言われて行くが「笑って言ってたでしょ冗談です冗談」と言われて辞める決意をする
言葉の強さと内容よりも笑って言えば冗談で済むと思う感覚が分からない、いじめる人間の論理や思考だと思った
真顔で言われたと伝えると小声ですいません
調査せずに呼んだな最悪…
B型に移られませんか?…はぁ?お前が居るだろB型には、どんな神経してるんだよ
辞めますと言って帰る時に「期待に応えられるカリキュラムが無くて」はぁ?対応なんだよ、私は「〇〇さんと合わなかった」と言って帰った
24日 カウンセリングで女性統括責任者との会話内容を話すと珍しくカウンセラーさんが就労移行支援施設の対応に怒りをあらわにされた
就労移行支援施設を正式に辞める、手続きは女性管理者が対応された、私がノートに書いた個人情報の取り扱いが大きな課題になってますと…あっそう
辞められるのは残念です…だから何?施設の重要な女性統括責任者と女性就労移行支援員と女性管理者が考え方が合わないし変わらないだろうし人は変えられないから辞める
6月
3日母の入所施設へ行くアゴに浮腫の様な物があるからと検査をすすめたが行かないと言っていると聞かされて行って見たら安心するでしょと伝える
女性清掃職員の方に格好いいと言われる背が高くてスタイルが良いし足が長いと言われて嬉しい反面困惑する
4日 コツコツ書いていた病歴就労状況等申立書を持って年金事務所へ申請に行く
相談支援専門員の方に障害者福祉サービス受給者証を渡して停止手続きをしてもらう、相談支援専門員の方には本当に穏やかで良くしてもらったし感謝している
14日 母の検査結果が胃潰瘍等があったとアゴの浮腫は問題ないとの事だった
21日 父が病院に行っている間に母の入所施設から男性職員2人が来られて母が必要な荷物を渡す
日にちを書いていないが母の事で大変お世話になったケアマネさんが廃業された
7月
1日 母の入所施設へ電話すると介護拒否していると知る、食事を摂らない・レクリエーションに参加しない・部屋から出ない
2日 母の入所施設へ行く、母がイライラして不安定でお金の事を心配する母を初めて見た
お世話になった男性職員さんが7月いっぱいで辞められると伝えられる
11日 相談支援専門員の方が来られて就労移行支援施設の軽作業の工賃を受け取り、相談支援専門員の方との契約終了
22日 母の入所施設へ行くが面会拒否される
母は誰にも迷惑を掛けずにひとりで暮らしたいと言ってたと、介護拒否プラス職員とも話さないが加わる
8月
5日 精神障害者年金の申請が受理されたと証書が届く
6日 母の入所施設へ行く、母から〇にたいと初めて聞く…精神的に追い詰められていると感じた
左足の甲が紫色に変色していたのでどうしたの?と聞くと転んだと
また来るからと言うと来なくていいと言われたが私が行きたい会いたいから関係ない
職員さんに状態を伝えると転んだことは黙って隠してたみたいだった
20日 母が入院する、電話で職員さんと連絡を取っていたがお盆休みで入所施設へ行く自信がなくて行ってなかった
私が行って話した後は介護拒否は減って食事したり話したりが増えてたとの事だった
21日 入院の手続きや預かり金を持って行き、母と面会する
リハビリを頑張っていて点滴はついていたが元気になっていた
23日 心療内科の前に母の入院する病院へ面会する、点滴が取れていて普通に会話が出来てた
25日 母発熱する、点滴の同意を求められて同意する
後日同意書にサインしに来てくれとの事
27日 母の入院している病院へ面会に行く
母の好きなカルピスウォーターを持って
母の鼻に管がついているし点滴も引き続きだった
母がグッタリしていた…相当キツそうだった
空のソルティライチがあったのは良かったかな
母の主治医から病状の説明を9月3日午後に受ける事になった…
9月も激動だと確定している
母の病状説明の不安と、入院費やオムツ代などがいくら掛かるか、どうやって払うかが問題だ
めちゃくちゃ長くなった
最後までお読みいただきありがとうございました
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