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鑑賞 正欲

(写真は公式サイトから)

無限まやかしさんが「小説を読んでから見たほうがいい」的なことをおっしゃっていたので
まず小説を買いに行き映画館で見た作品
(これ3本目なんで、1、2本目も聞いてほしい)

公開2週目の最初に行った
まだまだ入りは良かったがスクリーンは小さめだった


よかった
見てよかったし読んでよかったと心から思う

けど勧めづらい
どう勧めて良いかわからない
テーマが人の性的欲求なのでセンシティブ

家族にどうだった?と聞かれ
「小説読んで、見たいと思うなら勧める」と答えた

映像化としては素晴らしいし美しいし
擬似体験にも近い
特に夏月と佳道の関係性が大変うらやましく
ほんとうの幸せを見たように思う
(理由は後述)

でも多分「マジョリティ」にいる人には
作品説明にあるように
「全く共感できない」こともあり得て
特に勧めづらい

本当の幸せとは何か問われた時に
少なくとも
少しでも今の幸せに疑問がないと
質問の意図を捉えづらいのではと思うから


story

横浜に暮らす検事の寺井啓喜(稲垣吾郎)は、息子が不登校になり、教育方針を巡って妻(山田真歩)と度々衝突している。

広島のショッピングモールで販売員として働く桐生夏月(新垣結衣)は、実家暮らしで代わり映えのしない日々を繰り返している。ある日、中学のときに転校していった佐々木佳道(磯村勇斗)が地元に戻ってきたことを知る。

ダンスサークルに所属し、準ミスターに選ばれるほどの容姿を持つ諸橋大也(佐藤寛太)。学園祭でダイバーシティをテーマにしたイベントで、大也が所属するダンスサークルの出演を計画した神戸八重子(東野絢香)はそんな大也を気にしていた。

同じ地平で描き出される、家庭環境、性的指向、容姿     様々に異なる背景を持つこの5人。だが、少しずつ、彼らの関係は交差していく。
まったく共感できないかもしれない。驚愕を持って受け止めるかもしれない。もしくは、自身の姿を重ね合わせるかもしれない。それでも、誰ともつながれない、だからこそ誰かとつながりたい、とつながり合うことを希求する彼らのストーリーは、どうしたって降りられないこの世界で、生き延びるために大切なものを、強い衝撃や深い感動とともに提示する。いま、この時代にこそ必要とされる、心を激しく揺り動かす、痛烈な衝撃作が生まれた。     もう、観る前の自分には戻れない。


意欲的な作品だと思うが
コピー(太字)が期待を煽りすぎることと
端折ったところがもう少し欲しかった印象

桐生夏月と佐々木佳道に
重点が置かれているので
そちらのシーンが多く
オリジナル追加も多少あり

そのためか
原作から削られた
「神戸八重子」の闇深さが
あっさりと
しかし唐突になってしてしまっているのは
残念にも思う

神戸八重子を演じた東野絢香さんの
透明でカサカサした感じが
佐藤寛太さんがちょいと押せば折れてしまいそうな感じが
佐藤寛太さんの力強さと色気と困惑との
コントラストも相まって
とても役に合っていて良かったから尚更

逃げ恥のみくりさんと同じとは思えない
真っ黒な瞳で生気なく姿勢悪く
スクリーンに生きる新垣結衣さん
「ガッキー」時代にみたこともない
その演技の数々に驚かされる
とても殺伐としていた

中盤で徳永えりさんと繰り広げたシーンは圧巻
原作にない
徳永えりさんが吐き捨てた言葉は
ついでにわたしにも刺さってしまう
刺さったアラフォー独女は多いだろう

奇しくも「生きるために擬態する」
モチーフは逃げ恥と同じで
似て非なるものだったのだが…

私は2人組になれない独身で
「世間体に苦しむ」側の
人間ではある
昔の自称ポリアモリーな恋人に
「お互い偽装結婚して不倫しよう」と
言われたことがあるのです

今思えばなんて事を受け入れようとしたのだと思うけど
「形という家庭を持つ事」は
さぞ生きやすいだろうなと思うし
それが同じ嗜好のある人なら尚更生きやすい

磯村勇斗さんと新垣結衣さんが楽しそうに過ごすシーンは
美しい
分かりづらい性的嗜好も
お二人の演技が伝えてくれる

原作でも好きだった、
予告にもある2人の寝室でのシーンは
作中1番のほっこりクスクスポイントで
夏月と佳道の関係性を羨ましく感じる

磯村勇斗さんに関しては
ちょうどその日帰って昨日何食べた?をみて「あのジルベールと佳道が同一人物?」と思う
磯村勇斗さんに関してはここ最近続く
意欲的な役選びがとても気になる

稲垣吾郎さんの家庭のシーンは
とてもヒリヒリとしている

勘違いかもしれないが
稲垣吾郎さんの息遣いや目の動き、
微かな肩の震えが
映画では明確な言及がない
原作の啓喜の「フェチ」感を感じた

押し殺し「自分はまともだから」
自分を律しようとしているようにも見えた

これは
吾郎さんが原作を理解して
脚本にない演技を入れていたのか
脚本にあったのか
私の勘違いかは不明だけど
静の微表情と動の厳しさが良いなと

稲垣吾郎さんと新垣結衣さんが「初めて会う」オリジナルのシーンは
その後のシーンとのコントラストになってとても良い

役者さんたちの佇まいと映像の美しさが
この作品世界の理解の助けとなる

そしてここを切り取った原作の朝井リョウさんの着眼点に敬服する


やはり「小説を読み映画もみる」のが良いように思う
小説を読んだ時と映画を見終わった時の感想、感情が異なっている
より世界に浸れたと思う

「世間体」に苦しんでいるかもしれない
LGBT+Q以外の
性的マイノリティ
と言って良いのか?それすらもわからない癖
その存在は私も知らなかった
声を上げることすらできないその人達

その人たちは
鑑賞している私に
「本当に他人を理解しようとしているのか」
「今の状況が本当に幸せなのか」
「本当に理解し合えている相手があなたにはいるのか」と
鋭利に問いかけてくる

読後も見た後も
その「フェチ」がわかりにくくて
(他のフェチが取り上げにくいとわかりつつ)
もっとわかりやすいフェチに
なんでしなかったんだろうと一瞬疑問に思う

その「わかりにくさ」に対する感情が
恥ずかしさと嫌悪に変わる

「わかりにくい」って今思って
線を引きましたよね、私
多様性だなんだ言って
線引いたじゃない

自分の感情をどうして良いかわからなくなる

その恥ずかしさや嫌悪の体験こそがこの作品に触れる意義なのではないかと思ったのです

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