苦手なことをやらなくてもいい社会へ
みなさんおはようございます。みなさんは苦手なこと、したくないことはありますか?私は大量にあります。しかしそんな苦手なことを克服してこそ価値があるといった考え方はまだまだ根強くあります。しかしここで言いたいです。正直今後はそんなことしている時間はありません。社会がかなり高度化専門化されている現代において苦手を克服することに時間を使うより、得意なことを伸ばすことに時間を使わなければ生き残れなくなることでしょう。そういった意味では苦手なことをしなくてもいい社会になって欲しいと感じております。
個人的な話をすると、私は運動が大の苦手でした。運動神経はかなり悪かったです。しかし大人になってから分かるのですが、少なくとも球技などできなくても何も困らないです。子供の頃体育が大嫌いでしたが、今役に立っているのはせいぜいマラソンで走ったことと水泳をしたことぐらいです。野球やサッカー、バレーボールなどいろいろやらされましたが、何一つ役に立っていません。せいぜい野球観戦して楽しめるくらいで、自身の健康維持とかには役に立っていません。そんな時間があるなら、走り込みをしていた方がまだマシでした。それほど苦手なことに時間を費やしても無駄でしかないということです。
結局無駄なこと、苦手なことをしなくてもいいという価値観が浸透しないと今後もそうしたことが行われる可能性が高いです。そもそもやりたくないことをやってうまくなるなんてことがあるとは思えません。そうした意味でも今後はやるべきことを厳選して行っていく必要があるでしょう。今後は選択肢が増えすぎたためにいかにして選択肢を減らしていくかが求められるかと思います。時間の制限もきつくなりました。短い時間で多くの成果が求められるような時代になったため、先にも述べたように苦手なことを克服するために時間を割くことも難しくなります。本当に価値観のアップデートが求められるでしょう。
有名人でいえばホリエモンが同様のことを言っています。歴史の年号や漢字の筆順などを覚えるのに時間を使うのは無駄なことだと。確かに歴史は出来事の流れさえ覚えられればいいですし、漢字の筆順だって、書いた文字が明らかにこの字だ、と分かればそれでいいと私も思います。きれいに書きたければそこは学校でやるのではなく、個人の裁量で行えばいいだけです。おそらく学校教育だって時間配分を相当考えなくてはならなくなるでしょう。
本当にこれからはいろいろ頭を使って生活しなければならない時代になるかと思います。どんどん価値観を変化させていかないといけない、そう思う日々です。