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「悲しみの扉を開いてみると?そこには何が?」心に浮かんできた言葉(027)

こんにちは「てると大吉」です。写真は夜明けの空。早朝散歩の途中で撮りました。今日は『悲しみの秘義』(著者 若松英輔)を読んだことをきっかけに考えたことを綴ってみます。

さて、友人の配偶者が急逝したと知ったのは昨年の春。あの日しばらく連絡を取っていなかった友人が連絡をくれました。そして僕に伝えられたのはその悲しい知らせでした。

急逝し 彼女の姿 みつけたり スナップ写真 優しく微笑む

この海に 二人で来むと 語りしも 今日みなと来し 君の写真と

二首目は友人目線で詠ませてもらいました。

高校の授業で歌の最初は挽歌(死者を哀悼する歌)なのだと聞いたことを思い出します。ちょうど昨年のいま頃、久しぶりに友人と会いました。あれから季節はちょうど一巡り。やっと僕なりの挽歌を詠むことができました。

あの日そこに、確かに僕たちはいました。そして今そこに、彼女はいない。本当にそうなのだろうかと不思議に感じるのはなぜでしょうか。

逝った人大切な人を思うとき、人は悲しみを感じる。だがそれはしばしば、単なる悲嘆では終わらない。悲しみは別離に伴う現象ではなく、亡き者の訪れを告げる出来事だと感じることはないだろうか。  017頁

『悲しみの秘義』 著者 若松英輔(文春文庫)2019.12.10 株式会社 文藝春秋

子供の頃「人は死んだらどこへ行くの?」と問う僕に、「○○ちゃんの心の中に行くんだよ」と祖母は教えてくれました。この世からその姿が消えても、いや消えたからこそいつもそこにいるという感覚でしょうか。

母が亡くなった後、僕の持った感覚はそれに近いようです。あの日からずっと、今も母は僕の心の中にいます。

友人の配偶者の在りし日の姿の写真をみていると、きっと友人の心のなかにいつまでも彼女はいるのだろうと思います。それこそ「ちゃんとご飯食べてよ」と言いながら。

人生には悲しみを通じてしか開かない扉がある。悲しむ者は新しい生の幕開けに立ち会っているのかもしれない。 014頁 

『悲しみの秘義』---同上---

僕は「悲しみを通じてしか開かない扉」の向こうには、夜明けの空が広がっていると感じている。闇の深さを知っているからこそ、空は穏やかに、そして爽やかに開けていくのだろうか。

日々の暮らしの中で感じる喜怒哀楽。「悲しみを通じてしか開かない扉」があるのならば、怒りを通じてしか、喜びを通じてしか開かない扉もあるかもしれない。

僕はそれらの扉の先にある想いと静かに向き合おう。そして自分と対話しよう。その対話は僕がこれから歩む道を教えてくれるのではないだろうか。
その道を照らす夜明けの空の光が、扉の先にはあるのかもしれない。

コーヒーを淹れ、彼女の好きだったお菓子を味わいながら書きました。
友人と久しぶりに会ってちょうど一年経ちました。この時機にこの本との出会ったことに感謝します。

今週も読んでいただきありがとうございます。どうかよい一週間を。

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