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「私とは何か?」という悩みへ、

今回は、平野啓一郎『私とは何か「個人」から「分人」へ』を読んでの個人的な発見や気づきをまとめていきたいと思います!


私が本書を読もうと思った理由は、最近「私とは何か」のようなテーマが関心ごとであること、ちょうどお友達からこの本を勧めてもらったからです。

本書の内容を平野啓一郎公式サイトの説明を参考にすると、

小説と格闘する中で生まれた、まったく新しい人間観。嫌いな自分を肯定するには?自分らしさはどう生まれるのか?他者との距離をいかに取るか?ー恋愛・職場・家族など人間関係に悩むすべての人へ贈る希望の書。

平野啓一郎公式サイトより

自分が嫌いだったり、自分らしさが分からなくて悩んでいたり、人間関係に悩む人におすすめの一冊であると言えます。
新書ではありますが、わかりやすく噛み砕いて説明されていたり、筆者の小説家という背景に関係する具体的かつ他では聞けない解説がされていて、すごく読みやすかったと個人的に感じました!

それではここからは早速、本書の内容と私の個人的な気づきを。



①「分人」という概念

かつて私は「自分って何なんだろう?」「本当の自分って?」と悩んだことがあり、その時に知り合いが言っていた「自分の中の多様性」という言葉にハッとした経験がありました。
「自分の中にも色々な自分がいるよね」ということを認めてあげようとすることでなんだか過ごしやすくなったと感じました。

本書を読んでいて、私のこのエピソードと「分人」が重なるなと思いました。
「個人(individual)=これ以上分けられない→本当の自分がいる」に対して「分人(dividual)=分けることが可能な存在→そのどれもが実体のある本当の自分」。

「人は相手や場によって自然と様々な自分になるという事実があることを肯定しよう」と筆者も述べており、自分に対する認識に「分人」の概念を導入すると「本当の自分」という実態の見えないものに振り回されることも無くしていけるのではないかと思いました。

また、筆者は「分人」についてstep1 社会的な分人(誰に対しても関われる)、step2 特定グループ向けの分人(ex学校、職場)、step3 特定の相手に向けた分人(特定のあなたへ)という枠組みも提示しています。

これを踏まえて「私とは何か」という私がかつて悩んだテーマに対してもう一歩理解を進めるのであれば、「私が今抱えている分人」にはどのような分人がいるのかを把握するということが一つのアクションになると思いました。



②教育現場において個性を伸ばすということが、将来的に職業と結びつけるような意味合いで使われているという指摘

本当の自分という言葉とよくセットで使われるという「個性」。
全く同じ人が存在するかと聞かれれば恐らく答えはノー、であることを考えると本来はみんなそれぞれ個性的である。
それなのに私たちが自分の個性で悩むのは職業と個性が結びついていた方が良いような風潮があるからではないのか?

確かに、得意なことを仕事にしようという話であったり、学校では五教科まんべんなくできて言われたことをきちんとできる方が良いとされているのに、就職活動となるといきなり「あなたの強みはなんですか?」など聞かれるので、個性を職業と結び付けようとする力はある程度存在しているなと思います。

ひとまずできることとしては、そもそも私たちは個性的であると認識すること。その上で自分の持つ特性のうち、どんなものがその職業に活かせるかと考えていくのがいいのではないかと感じました。




③「自分探し」に対する分人的解釈

「自分探し」という言葉はいたるところで使われていますが、自分探しなんてしたって見つからないという意見もあると思います。なぜならそれは外向きのベクトルであり、もっと自分の内側に目を向けていくべきだと。

現在私も休学中であるため、このような意見に若干肩身を狭くしている、というのは冗談ですが、もしかするとこの意見は本当の自分というものの存在を信じているのではないかと捉えることも出来るのではないでしょうか?

「分人」という観点から「自分探し」を見ると、新たな環境に踏み込み新たな人と出会うことで、自分の中に新たな分人を生み出しに行っているとも言える。この指摘が私にとって新たな発見で、「自分探し」を肯定できる観点だなと感じました。

このように「分人」は相手との相互作用で変化するものであるため、付き合う相手によって「分人」は変化する・変化させることもできると言えることを私たちは理解しておいて損はないと思いました。




④分人的な愛の解釈

愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。

平野啓一郎『私とは何か「個人」から「分人」へ』講談社現代新書, 2012. p.138

ハッとさせられる定義だったので、そのまま引用します。

先ほども少し触れたように、「分人」は自分と相手がいることで成り立つ相互的なものであるため、”その相手がいることで形成される私の分人”を私が愛することができること、同様に”私がいることで形成される相手の分人”を相手が愛することができること。

このような状態はすごく素敵だと感じます…!

「そこに愛はあるんか?」

に対しての解釈がまた変わるなと感じました(笑)

体現できるかは別の話って?ぐぅ、、、


余談ですが、先日読んだ岩内章太郎『<私>を取り戻す哲学』における「対象それ自体が何であるかという判断を保留し、一切を<私>の意識体験の確信とみなすこと。」という認識方法に対する主張は、本書の「分人」を踏まえると、どの分人である自分における意識体験はどれも確かなものであるみなす、と解釈できるのでしょうかね。

こうして似たジャンルの本の共通点や相違点を上手く比較整理できるようになりたいのですが、難しいなぁと感じます。

こういうの上手い人を見習いたい!



おわりに

「私とは何か?」に悩む私たちに処方箋をくれる本書。

個人的には、小説家である筆者が、小説を書く際のテーマについて背景を語る部分がとても興味深く感じました!
その背景を踏まえて筆者の小説を読んでみたいと思いました。

みなさんも『私とは何か「個人」から「分人」へ』に興味があればぜひ読んでみて下さい!

最後までお読みいただきありがとうございました!

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Eito
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