留学生のひとりごと日記#16
2023/05/20&21
誰しもしんどい時があるのではないでしょうか。
それでも人生にイエスと言わなくてはならないなんて。
でも今日も生きてるってやっぱりすごいことではないでしょうか。
ただ生きる―それが難しいことだと知る。(Dannie May 「ただ生きる」)
五月病か。
終末だったな。
おいおい、週末だったな。の間違いだろう。
半分間違ってて半分合ってる。
20日土曜日の夜、自分はひどい状態にいた。もう形容する言葉が出ない。
一時間くらい公園のベンチで寝転んで空をみてた。なんか動けなかった。
おでこを蚊に刺された。
僕のベンチ近くで楽しそうにしていた二人組の笑い声が耳に障った。
みんな何が支えで今日も生きているんだろうと思った。
原因ははっきりしている。
人と関わらなさすぎて自分の世界に浸かりすぎで苦しかった。
なぜなら自分の中で自分はクソ人間で、甘えてて、当たり前のこともできないくせに異なりたいという願望からただ違う方を向いているような説得力の伴わない無価値な存在。
と感じると同時にその自分の認識は自分によって作られていることが分かっていて、それなら変えることができるだろうに。でも本気で変えようとできない、なぜそこまでして変わらなくてはならないのかという考えが浮かび行動に移せていない。
擱淺的人という曲の「我甚至習慣我討厭自己的樣子(自分を嫌いな自分にも慣れてしまった。)」が浮かんだ。
やはり自分も「恥の多い生涯を送って来ました。」から始まるか。
変われない理由として傷ついてれば楽だから。被害者でいれば上手くいかないことに関してもいい訳ができる。
「今のお前はクズで何も価値と魅力を感じない」
そんな風にはっきり現実突き付けてくれればいいのに。
そうやって周りからはっきり言ってもらえたらいいのに。
そしたら改心できるはず。
中途半端な承認は毒より毒だ。
失敬。これではただ不快感を与える内容だ。
まあまとめると僕はどうやら自分の中で自分を絞殺してしまえそうな自分を飼っているようでそいつを上手くコントロールしないといけないと思った。
見せかけでもいいから命を懸けれるような目指すものが欲しい。見つける。
そのために今は学ぶ。
あと一回瀕死体験というか極限状態での経験をするべきだと思った。
生きることに積極的になりたい。
そして極度に独りに偏った生活を改め能動的交流を適度なペースで生活に組み入れる必要があると思った。
人々の間に交流できる空間が減少していること、自分でコントロールしたいという気持ちが人との関わりを避けさせること(例えば寮暮らしから一人暮らしを始めるなど)が孤立を高める。
そんな背景もあるのだと思った。
以上を踏まえて直近のTo Doとして
連絡してご飯行く
沈んだらランニング(ヤケ酒に対抗してヤケ走りという概念を作るか)
極限体験の計画を練る(バンジージャンプとか?)
暇があればインプットしてnote書く!
やれよ。
ここまで読んで頂いた方、ありがとうございます。
そして申し訳ありませんでした。
正直公開するような内容ではないかもしれません。
僕も迷いました。誰かに相談すればいいじゃんと。
でも僕はその誰かが分かりませんでした。
相談したら聞いてくれる人はいます。ありがたいことに間違いありません。
ですがどこか踏み出せなかったのです。
恐らく「人に迷惑をかけるな」の呪いにかかっているのです。
迷惑かもしれないから相談しない。結果一人で抱え込む。
よく聞く最悪の場合は死ですよ。
なので「人に迷惑をかけるな」とは言わないでほしいなと思います。
それよりも「人の役に立て」。
ズキっ。人の役に立てるような人間になれるように頑張ります、、