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日記 エヴァと私と90年代
まだエヴァが、誰も知らなかった頃、
私は大学がお休みで、ふとテレビをつけると、
子供が何か偉そうなことを言っているアニメがある。なんか、ガンダムみたいだなぁ、というのが初めの感想。
それからもちょくちょくテレビをつけるとやっているではないか、おお、またあのアニメだ、
となる。
そのうちに最終回になって終わってしまったのだが、私は最終回の前までぐらいは見ていたが最終回は見逃したので、とても残念に思っていた。
見ている本人はこのアニメの話を共有したくて仕方がないのに、周りを見渡しても誰も見てなどいない、それぐらい当時は無名のアニメだった。マジで、知る人ぞ知るレベル。無闇に人に話すと、白い目で見られるから、なかなか話せなかった。大体話してもダメな感じ。
当時はフィルムブックが販売されていた。
それで話を追えるからそれで、楽しみにしていた最終回の結末を見たら、何が何だかわからないではないか。
え?!と思っても、結局よくわからなくて、
えええええええ?!みたいな謎ばかり、やっぱり残ってしまって。
後日、最終回が破綻していたことを、後のクイックジャパンの記事で知った。
クイックジャパンは当時めちゃくちゃエヴァ推しで、凄い議論が白熱していた。当時はアレックエンパイアとかと一緒に特集されていた。あとスタジオボイスとかでも載ってたかな。
でもあの破綻には本当にがっかりした反面、ちゃんと見たいのと、語りたい熱が合わさって。
というのも、語りたくても語り合える人がいなかったことが凄い良い意味で夢中にさせる要因の一つだったと思う。伝道師みたいな感じになるのが、あまり人に知られてなかったからというのも大きな要因だ。
多くの人に知ってもらいたいみたいな感じと、私しか知らない、みたいな特別感と相まって、もうあのなんとも言えない焦燥感。
なかなかないよ、あの、混沌ぶりは。
話しても、「どうせ子供のアニメだろ、」ぐらいで、「いやそういうのは俺は良いから、」とかひかれながら言われて、無下に扱われるのがオチだったり、それでもめげずに布教活動に邁進した記憶がある。
あの頃って、岡崎京子とかもそうだけど、オウム真理教とか、テロとか、阪神淡路大震災とかノストラダムスの大予言とかバブル崩壊とか、援交とか、ブルセラとか、フリッパーズギターとかもそうだったけど、
ちょっと全体的に暗くて曖昧で怠惰な日常との戦いだったり、
ジェネレーションXではないけども、何かを追い求めたくなる、すがりたくなるような。
でもそれがなんだかわからない、人と人との距離感がすごーくもどかしく、繋がりが希薄で、仮面があったというか、居場所を求める気配に満ち溢れていた時だった。
エヴァにもそんな雰囲気がやっぱりあって時代の空気感を如実に映し出していたと思う。
事実、その後に撮った実写映画は援交とか、ウリを扱った女子高生の作品だったと思う。もちろん、映画館で見たけども。仲間由紀恵ちゃんも出ている。友達が当時アイドルやっていてと友達だったらしい。
今思えばあの喧騒って、凄かったな、と。
なかなかあそこまで、
人ってなんだろうとか、
神様っているのかな?とか、
そういう哲学的な問いが、
無意識に自然と折り重なるように生まれてくる寂しさを抱いた時代って、本当に、稀有だと思う。
何が言いたいかというと、
もうあの頃には戻りたくない。
凄い嫌なことが多くて、でもそのくせ、あの頃にしかない重たい貴重なテンションや気配を纏っていて、
今ではすっかり熱が冷めてしまっていて、
私のエヴァブームはあの頃がピークだったわけで。
もうハマりにハマってみんなが夢中になる頃にはもう何年も時代が過ぎて飽きてしまっていたみたいな。
夢中になった後の廃人的な徒労感が凄まじくて、もう戻ることはないと思う。それぐらい時計の針がそこで止まってしまっている。
それぐらい当時、突き詰めて夢中になったのである。
で、エヴァではなくて申し訳ないんだけど、
当時の空気感を物語る曲を一曲見つけたので、それを貼ってみます。まさにリアリティに欠けリアリティを追い求めるような時代でした。