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日々の楽しみ
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日々の楽しみ。
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わたしは日々、時分にとっての日々の楽しみを心待ちにして生きています。
わたしにとってのそれは「読書」であり「音楽鑑賞」であり「英語の学習」であり、このエッセイに書く「物語を決める」ことです。
しかし、いまのわたしにはこの日々の楽しみを楽しむ時間を設けるのが至難の業です。
では、頑張ってまで「日々の楽しみを楽しむ時間」を設ける必要がないのではないか、と言えばそうではないと思います。
わたしは毎日PCを利用しています。
仕事などで長時間利用しているとそれがへそを曲げて動きが遅くなったり、突如動かなくなったりします。
わたしはその原因がPCのメモリ(主記憶装置)にあると思っています。
長時間休むこと無く働かせることで、PCのメモリに記憶データが積み重り、新たなデータ処理に障害が出てしまうのです。
ではどうすれば良いのか。
それは次々に仕事をするのではなくて、たまには再起動をしたり、そこまではしないにしても、作業の多いアプリケーションのメモリに溜まったデータ削除をするだけでもPCの負担が減り、再び動きが軽快になるのです。わたしはこれが、なにもコンピュータだけのことでは無くて我々人間にも言えることだと思っています。
だからわたしのようなサラリーマンが例えば10時から午後7時まで毎日9時間労働しているとして、ざっくり労働時間の3分の1の3時間位は脳に溜まった疲れを取り除くゆとりが必要だと思います。その3時間を「日々の楽しみ」に当てるわけです。
では実際に3時間のゆとりがあるか、と言えばわたしにはそんあゆとりがありません。週5日、仕事の日にはかなり頑張って1時間弱、大概は精々30分くらいが捻出されるだけです。
睡眠時間の内訳は午前一時就寝で午前6時50分起床。これが定番で睡眠時間はおよそ6時間。
でも実は電車での通勤に片道1時間15分ほどかかっていて、これが往復で2時間30分。
ではこの移動時間に何をしているのか。
これが最近ほとんど寝ているか、瞑想に当てているのです。
貴重な移動時間。
以前は「読書」に当てていました。
いや、「PCに近い汎用性をもつ携帯端末」をやたら触りまくっていた時期もありました(この辺のことは08で詳しく触れています)。
しかし通勤時満員電車内一派のあまりにも多くの仲間たちが皆揃って「PCに近い汎用性をもつ携帯端末」を弄んでいるのに驚愕し、ある時期からわたし自身もその一派として「PCに近い汎用性をもつ携帯端末」を触りまくることに躊躇を覚えるようになってしまったのであります。
じゃせめて読書すればいいじゃん。とお思いかも知れませんが、それがそうでもないのです。
それはなぜか。
それは読書とは一種の旅、冒険だからです。
いつ頃からか、わたしは本を読み素晴らしい冒険をした後に余韻もなく職場での仕事に向かうようすっぱりと切り替えることが難しくなったのです。だから、切り替えの負担を軽減すべく、満員電車内瞑想をするわけなのです。
☆この続きはまたにします☆
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お読みいただき感謝します。
貴重な時間をありがとうございます。