見出し画像

2歳児に潜む5歳児と0歳児

2歳児は、魔のイヤイヤ期(鬼)と言われる。

連れ合いがよくX(旧Twitter)の言葉を引き合いに育児情報を共有してくれる。

特段昔からの知り合いがいるわけでもない育児環境では、同年代の子供がいるアカウント同士snsで繋がっていることが何よりの救いになることも多い。
もちろん発育の比較対象になってモヤモヤした気持ちになることも多いが、お役立ち情報も含めて考えるとややプラスに寄るだろうか。

そんな魔の2歳児が我が家にいる。
最近、いろんな理屈を立てるのが上手になってきた。

おむつを変えたくない時は
「赤ちゃんになる!」

大人しか食べていないおかずを食べようとする時は
「僕はもうもも組さん!(保育園の5歳児クラス)」

1分ごとに人格が行き来する。
育児に振り回される毎日だが、ここまで潔く切り替えられることに羨ましさも感じる。


仏教では「四苦八苦」などで使われる「苦」とは、
「自分ではどうにもならない、思い通りにならないこと」
を指すという。

具体的な精神的身体的苦痛ではない。
意思があるからこそ生じるままならなさこそが「苦」だとされる。

息子がコロコロと自分の今の状態(気持ち?)をさも当然のように切り替えていく時、変わることない不変の自分がいることなど毛頭想定していない。囚われがない。

もちろん切り替えたところでおしっこで汚れたオムツは無理やり変えられるし、大人と一緒に食べたおかずも噛みきれなくて口から出してしまう。ままならなさが無くなることはない。

ただ、その行為の手前では息子は「苦」にとらわれていない。切り替えてなんぼというその姿が、尊い。

今の自分を大切に、今感じていることを大事に。
そんな言説が巷に溢れている。
一見暖かで思いやりにあふれているようで、どんどん社会が不器用になっていないか、ありのままを無闇に受け入れて無理が祟る結果を招いていないか?
そんな要らぬ心配を抱いてしまう。

子供は真に逞しい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?