寺務員の一人語り

お寺で働くって何?5年働いててもわからない人の迷い悩みが詰まった日記です。

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最近の記事

寺活のすすめ

強制的に寺活すればいいのに。 みんな忙しすぎやしないか。 予定を詰めるだけ詰めて消化したのかしきれてないのかわからないような時間に飲まれて、欲望に流されていっている。 そらストレスも溜まるし鬱になる人も増えるだろう。 noteというアプリを使って数年、いろんな人の考えを知れる場として重宝してきた。 ちょっとした違う視点を取り入れるのにちょうどいい場所だと思っていたが、最近は少し毛色が変わってきたように感じる。 読ませようとする努力が、ちょっとしたお役立ち情報のようなもの

    • 旧Twitterという言葉を聞かなくなってきた。noteがNとかにならないように願います。

      • 休みの日に自分の仕事を振り返る。できていないと思っていることがげっそりするほど多いのは、自分に対する期待値が高すぎるから? 自分のこと好きすぎるが故に否定してる姿は、セルフツンデレというにふさわしい。

        • 酔わない披露宴にて〜大人の作法〜

          お決まり事が好きである。 どんな場面であれ、こんなルールくだらない、とかあまり思うことはなく(むしろなんらかの理由があって残っているルールなんだろうなと同情の念を覚える)、とにかく自由にやらせてくれ、と思うことは稀である。制限をかけてくるものがあった方が動きやすい。制約万歳、お手本万歳。お作法万歳。 そもそもそんな人間でなければ歴史あるお寺で勤めようと思わない。好き勝手自分の作りたいものがあるならベンチャー企業に行くか起業すれば良いわけで。 のっとるものがあることの安心感。

          下戸が酔わずに過ごすには

          私は酒に弱い。 家系的に見て酒に強かった人はいない。 社会人になって10年以上、酒の場で酩酊せずに終わりを迎えられたことが一度もない。一度はトイレで清算しなければ帰れない。 それなのに飲む。飲まずにいられない。 別に「酒が進んでいないぞ」「もっと飲めよ」と周りから進められるわけでもないのに、飲む。 グラス一杯で顔が赤く変わる体質のおかげで早めの時間から心配されるにもかかわらず、 「顔だけ赤くなるんで大丈夫ですよ~」 とかいって心配をはねつけるように飲んでしまう。そしてダウ

          下戸が酔わずに過ごすには

          筋トレした後、鬱な気分が起こりにくい。 筋肉疲労が精神疲労を代わりに背負ってくれてるように感じる。ありがとう筋肉。

          筋トレした後、鬱な気分が起こりにくい。 筋肉疲労が精神疲労を代わりに背負ってくれてるように感じる。ありがとう筋肉。

          「いのちの車窓から2」読了。 人生はクソだとちゃんと言ってくれる存在がいることのありがたさ。 「2」の形に身体を屈しながらギターを弾く源さんのイラストが深い試作と苦悩を体現しているみたいで良い。

          「いのちの車窓から2」読了。 人生はクソだとちゃんと言ってくれる存在がいることのありがたさ。 「2」の形に身体を屈しながらギターを弾く源さんのイラストが深い試作と苦悩を体現しているみたいで良い。

          変化していくことが美徳とされてる時代でも、続けているからこそ勝手に変化に向けたトライアルになっていることは多いはず。 無意識にこういう逆説に取り組んでいる人を称える側でありたい。 こんなことをテーマにして書こうと思っているのだが、うまく流れがまとまらない……

          変化していくことが美徳とされてる時代でも、続けているからこそ勝手に変化に向けたトライアルになっていることは多いはず。 無意識にこういう逆説に取り組んでいる人を称える側でありたい。 こんなことをテーマにして書こうと思っているのだが、うまく流れがまとまらない……

          大人の迷子

          急にふらっとどっか行くよね?笑 自信満々に1人で歩いていたら母の姿を見失って途方にくれた。 気づいた時にはお店の店先に1人座っていた。 その後、攫われたと思って血眼で息子を探す母に見つかり、私は人生史上最大の大泣きをしながら家に帰った らしい。4歳の時のことらしい。 大阪の商店街で人生で初めて迷子になった時のことは、子供の頃から親によく聞かされてきた。 私の妻は、物心ついて以降義理の両親から、数えきれないほどのエピソードを繰り返し聞かされてきたそうだが、こと私の場合、繰

          いてくれてありがとう

          人はやがて去っていく。 今日退職の相談を受けた。前々から、人間関係やら今後の進路やらでこの先あまり長くいてくれることはないだろうな、となんとなく予感はしていた人からの相談。 まだ若く、これから進むべき道を見据えての決断ということもはっきり伝えてくれたので、引き留めようもない。 それで別に良いのだ、と思いつつ、 あなたがいてくれるだけでありがたい。 相談中自分から自然と出たこの言葉を、なぜこれまで一度も言ってあげられなかったのだろう、と間抜けな顔で俯瞰する自分がいる。

          いてくれてありがとう

          胃に何かいる〜縁起〜

          胃に何かいる。 胃が痛い、というとなんだか大袈裟でちょっと悲劇の主人公感が出るのだが、今の感覚をより正確に表現すると、 胃に何かいる。 食後8時間ぐらい経っていてこの間何も食べていないのだが、胃が何かに反応し続けている。 そもそも胃とは胃の形をした壁のことなのか?袋の形をした細胞(皮膚?肌?内臓?)の中の空洞のことなのか。内臓そのものが蠢きを感じているのか?それに合わせて空洞にある空気も動き続けているような感じ。 こんな感じで1週間近く胃に意識が向いていることもあり

          胃に何かいる〜縁起〜

          置かれた場所で咲く

          みんなちゃんと生きてるな、と感じることが増えた。 息子の保育園で出会う親御さんはちゃんと疲れた顔をしている。 たまに近況を報告してくる友人は着実に自分の世界を広げていっている。 30代も半ばが近づくと、有象無象がいる世界で自分の居場所を定めつつある人が周りに増える。 寺の環境にあって俗世の悩みから離れられるかと思いきや、細々した人間関係の機微に付き合う毎日では、寺で過ごすことの良さも何もあったものではない。 それぞれの場所でそれらしく咲く。あたりまえのようでいて意外と難し

          置かれた場所で咲く

          2歳児に潜む5歳児と0歳児

          2歳児は、魔のイヤイヤ期(鬼)と言われる。 連れ合いがよくX(旧Twitter)の言葉を引き合いに育児情報を共有してくれる。 特段昔からの知り合いがいるわけでもない育児環境では、同年代の子供がいるアカウント同士snsで繋がっていることが何よりの救いになることも多い。 もちろん発育の比較対象になってモヤモヤした気持ちになることも多いが、お役立ち情報も含めて考えるとややプラスに寄るだろうか。 そんな魔の2歳児が我が家にいる。 最近、いろんな理屈を立てるのが上手になってきた。

          2歳児に潜む5歳児と0歳児

          祈りとお金と危機感と

          お寺で一緒に働いてくれる職員は、よくこう言います。 いい人が集まっている。 気持ちよく働くことができる。 いい顔をして帰っていく参拝者にこちらが癒される。 こうした感想を聞くたび、ありがたいことだと思いつつ、こうも思うのです。 これはこれで危険だな、と。 いわゆる観光寺院として、何をせずとも参拝者が来られるお寺で働いています。 その入場料で経営が成り立っています。お寺にも経営は当然あり、数年働いているとお金の流れもだいたいわかってきます。祈りにもお金が必要です。 です

          祈りとお金と危機感と

          休めない人

          休みの日、勤め先以外の他のお寺に行くと粗探ししてしまいます。 廊下の隅に埃が残っている。 天井付近の蜘蛛の巣が取りきれていない。 白砂の砂利が石畳に散らばったままになっている。 一日拝観を続けていたら、昼過ぎには朝の掃除し終えた状態からだいぶ汚れてしまうのは当然なのですが、これは多分前日からの汚れをそのままにしているだろうな、と想像つく部分もあります。 休みの日にしかお寺に行かない人なら気づかないようなポイントだと思います。 それでも説教くさく他のお寺にケチをつけたくな

          般若心経という乗り物

          般若心経は乗り物だな、と思います。 夕方、業務の終わりぎわに般若心経を和尚さんと唱えます。 聞くところによれば、木魚の叩き方も節の付け方も、お寺によって少しずつ違うみたいです。 教わった通りに唱えるお経。ものすごい情報量が込められていますが、その意味を意識することはほぼありません。読み上げる音がどんな漢字だったか、思い出そうとしようものなら、リズムが崩れてお経と言える代物ではなくなります。 とはいえ読経の時以外にお経を読み込もうとするのはすごく負担感が強い。 結局のとこ

          般若心経という乗り物