ぽん太の東海道五十三次歩き旅(33)坂下宿→土山宿大野
こんにちは。ぽん太です。今日は、いよいよ東海道中の西の難所とうたわれている鈴鹿峠を越えます。東の難所、箱根峠は昨年越えましたが、どのような違いがあるか楽しみです。
旅日記
2023年9月28日。今日は最後の難所、鈴鹿峠越えだ。本当は早く出立したかったのであるが、バスのタイムテーブルの関係で、昨日の終着地伊勢坂下には9:20到着。
片山神社の入口あたりから杉の木立の山道となり、徐々に勾配もきつくなる。かつては、この片山神社近辺に坂下宿があったみたいだ。見上げると、国道1号線との合流地点が見えてきた。
国道1号線の合流地点で少し休憩をとり、気合いを入れて登るが、なんと5分程度で鈴鹿峠に着いてしまった(10:05)。難所というわりには結構拍子抜けだ。
鈴鹿峠には三重県と滋賀県の境界石があり、滋賀県側は平坦な道で、茶畑もあるのどかな道だ。実に不思議な峠だ。
峠近辺には、金毘羅参りの万人講が安全祈願に立てた万人講常夜燈がある。高さや約5.44mという大きな常夜燈だ。常夜燈は、静岡・愛知では秋葉山常夜燈ばかりであったが、関西圏に入ると、伊勢神宮常夜燈・多賀大社常夜燈など多彩であるのが面白い。
ぽん太は京都市出身なので、滋賀県はまさにホームグラウンド。中高時代にサイクリングで滋賀県もよく走ったが、この辺りはあまり来たことのない地であったので、歩いていて新鮮だ。
国道1号線に合流し、ひたすら下ると、鈴鹿馬子唄碑がある。「坂は照るてる 鈴鹿はくもる あいの土山雨が降る」とある。旅人や荷物を馬にのせて運ぶ馬子が馬の首に付けた鈴の音に合わせて唄われた仕事歌だそうだ。
そして山中一里塚跡でお弁当タイム(11:10-11:30)。一里塚碑を見るのは久しぶりだ。
12時、土山宿に入り、海道橋を渡る。ここは広重の絵にも出てくるところだ。田村神社の参道は、杉の木立が高く、厳かな感じがする。田村神社は、鈴鹿峠で人々を苦しめていた鬼を退治したという伝説のある坂上田村麻呂を祀っている。
参道を抜けると、道の駅「あいの土山」で小休止(12:10-12:30)。「あいの土山」は先ほどの鈴鹿の馬子唄の歌詞から取ってきたものだろう。今日は蒸し暑くて、アイスが身に染みる。
土山宿は伊勢や多賀への参詣の道でもあり、宿場町の面影を今でも残している。亀山宿のように昔の店の屋号を掲げていて、趣きがある。また街道沿いには茶畑も散見される。このあたりは近江茶の産地なのだ。
土山で、東海道を歩いておられる台湾人の夫婦に出会う。京都から東京までスキップしながら3週間で歩いておられるそうで、彼らにとっては私が初めて会う東海道歩き旅族のようだ。久しぶりの英会話を楽しみ、別れる。
13時前、垂水頓宮御殿跡という碑を発見。かつて天皇の名代として伊勢神宮へ派遣された「斎王」が旅の途中に利用した宿のようで、ここ垂水の御殿だけが国の史跡として指定されているようだ。
静岡県では、各家に秋葉常夜灯のミニチュア版をよくみかけたが、滋賀県では信楽焼のたぬきの置物をよくみかける。
そういえば三重県・滋賀県では、松並木はほとんど見られず、一本松がたまに出てくるだけだ。そして、野洲川の岸辺に出る。わりと広大な川で、少し小休憩。
今日は暑さのせいかバテバテで、水口まで歩く気力も体力もなくなったので、14:50大野からバスに乗って、水口に向かう。今日泊まるあや乃旅館は夕食もついており、アットホームな家庭料理のおもてなしでとてもよかった。特に「はも」の天ぷらがおいしかった。
この旅館では、宿泊客の写真が貼られており、ぽん太も写真を撮っていただき、その1枚を飾らせていただいた。
記録
総歩数:25,624歩
実際に歩いた距離:15.4km
訪れた宿場:土山宿
宿泊:あや乃旅館(水口)