ぽん太の甲州街道歩き旅(4)日野宿→高尾
こんにちは。ぽん太です。今年も猛暑がひどかったですが、9月の終わりになってようやく30度を下回るようになったので、歩き旅を再開しました。
本日の行程
旅日記
2024年9月21日、ようやく秋がやってきた。天気は曇りであるが、日に焼けないので、久しぶりに甲州街道歩き旅を再開することに。
日野
4月に到着した日野駅を9:55出発。実に5か月ぶりの歩き旅だ。今日は30度を下回っているとはいえ、蒸し暑い。日野駅からは少し大坂という名の坂を登る。このあたりは住宅地なので歩きやすい。
256号線と合流すると、右手に日野自動車の本社が見えてくる。やはり日野に本社があったのか。そして広大な日野自動車の敷地の西の片隅に「日野台の一里塚跡」と書かれた解説版がある。日本橋から十里目(約40km)のようだ。続いてコニカミノルタの本社がみえ、しばらくその横を歩く。
大和田橋
八王子市に入り、また20号線と合流すると、橋に差し掛かる(11:05)。
大和田橋だ。第二次世界大戦中、米軍の焼夷弾が多数八王子にも落とされ、多くの人たちがこの大和田橋の下に避難し、命拾いをしたと言われる。大和田橋の途中に何か所か、焼夷弾の痕跡が残されているのだ。
少し浅川の川べりで小休止のあと、旧道に入って少し行くと、「竹の鼻の一里塚跡」と書かれた立派な石碑が残されている。そして新町の桝形をカクッと曲がると、もう八王子市内だ。もうお昼なので、お店に入る(チェーン店なので紹介省略。11:50-12:20)。
八王子宿
かつては八王子には八王子城があり、北条氏の支配下にあったが、豊臣秀吉の小田原攻めにより落城した。その後徳川家康の支配下となり、家臣大久保長安が町づくりを進めた。横山宿・八日市宿・八幡宿の3宿がおかれ、総称して八王子宿と呼ばれるようになった。
12:20歩きを再開し、かつての横山宿→八日市宿→八幡宿の道のりを歩く。当時も賑わっていたようだが、今も20号線沿いでお店も多くにぎわっている。ところどころ当時を偲ぶ建物などが残っていて趣きがある。
八王子千人同心
八王子宿を抜けると追分町だ。甲州街道と陣馬街道の分岐点だ。
かつてこのあたりには八王子千人同心という幕府の家臣団が住んでいたところだ。今も千人町という地名が残っているが、徳川家康は武田家の旧臣を召し抱え、甲州街道の防御を任せた。実際には半農半士の生活を送っていたという。追分には、八王子千人同心屋敷跡記念碑が残されている。また、旧家には今も「八王子千人同心旧交会会員」なるプレートを掲げているところもあり、歴史を感じさせてくれる。
いちょう並木
追分からいちょう並木が続く。秋には黄葉で甲州街道が黄色に染まり、美しい光景が堪能できるが、ちょっと今は時期が早い。
時折、彼岸花が顔を出してくれたり、柿の実が色づいてきたり、少しは秋を感じさせてくれる。
多摩御陵
13:40多摩御陵入口。大正天皇のお墓がある場所だ。ここから旧街道は少し20号線を外れる。黒塀の旧家がところどころにあって、いい感じだ。そして若干寄り道をし、南浅川のほとりに出ると、近くには陸南公園があり、憩いの場となっている。
JR高尾駅
そして14:40JR高尾駅に到着。雨に降られそうだったが、なんとかもってくれてよかった。そして駅のカフェで甘酒をいただく。疲れがとれるなあ。
記録
総歩数:22,000歩
実際に歩いた距離:13.2km
訪れた宿場:八王子宿(横山宿・八日市宿・八幡宿)
宿泊:なし
おわりに
八王子、歴史を感じさせてくれてなかなかよかったです。特に旧家の玄関に「八王子同心旧交会会員」碑があったのは驚きでした。歴史というのは本当に過去からつながっているのだと思います。また八王子のいちょう並木の長さは外苑前のいちょう並木どころではなく、もっと知られてもいいのではないでしょうか。特に紅葉の頃は本当にすばらしいです。今日はまだ少し暑かったですが、歩くのにはよい一日でした。次回はいよいよ甲州街道難関の一つ、小仏峠越えです。10月に越える予定ですので、お楽しみに。
では、ごきげんよう。