ぽん太の甲州街道歩き旅(1)日本橋→内藤新宿
こんにちは。ぽん太です。東海道歩き旅を昨年10月に完歩した後、本来なら中山道といきたいところでしたが、中山道は交通アクセスが不便な宿場も多いため、横浜からアクセスのよい甲州街道を歩くこととしました。
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は通信網と物流の整備に向け五街道(東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道)を整備しましたが、半蔵門から内藤新宿、八王子で部隊を従え、甲府城に入り、富士川を舟で下り、駿府城に抜けるため重視したのが甲州街道でした。
甲州街道は下諏訪までの全44宿約212kmの道のりで、東海道の半分にも満たないですが、山道も多く、また古い宿場も残されており、街道ウォーカーとしてはとても魅力的な道のりです。では、1日目は、足慣らしということもあり、日本橋から新宿(内藤新宿)まで歩きます。
旅日記
日本橋
2024年3月17日。2年前にも降り立った日本橋の日本国道路元標に再びやってきた。2年前は東海道の出発点として、これからの旅路の期待と不安を抱えた出発であったが、今回はあまり気負いない出発だ。
10:45日本橋を出発。日本橋の交差点で西へ曲がり、東海道とはおさらば。呉服橋跡を過ぎ、JR東京駅の日本橋口から丸の内口へ構内を進む。
JR東京駅はインバウンド回復のおかげか、外国人観光客が特に多い。すごいにぎわいだ。
御堀端の道
丸の内側を抜けると、まっすぐ西へ進み、内堀に突当り、和田倉橋へ。お堀には白鳥が1羽優雅に泳いでいる。
ここからはお堀沿いをまっすぐに歩き、日比谷の交差点へ。この道は見晴らしがよく、遠くには虎ノ門ヒルズまでみえる。普段は地下鉄でしか異動しないので距離感がつかみにくいが、虎ノ門まで意外と近いんだな。
日比谷からは少し日比谷公園に入り、日比谷見附跡をみつける(11:45)。かつての江戸城外郭城門の一つで、立派な石垣が残されている。当時の濠が心字池として都民の憩いの場となっている。
公園を歩いていると、桜の満開スポットがあった。今日は気温が20度近くまで上がるとのことで、すっかり春の陽気だ。
その後モダンな法務省の旧本館を堪能すると、20号線の国道ポストを発見。そう、これからは国道20号線沿いに歩くことになるのだ。
桜田門外の変で有名な桜田門からまたお堀沿いの道を歩く。とても見晴らしがよく、かつての江戸城がとても大きかったのを実感できる。
今日の御堀端は天気がよいこともあり、ランナーが多い。
12:30半蔵門に到着。家康の家臣服部半蔵の伊賀組の屋敷があったことから、「半蔵門」と名付けられた。江戸城に危機が迫った時に、服部半蔵の手引きで、ここ半蔵門から甲州街道を伝って甲府へ抜け、富士川より舟で駿府へ抜けることが想定されていたようだ。
ここで少し小休止。ここから先は桜で有名な千鳥ヶ淵であるが、ソメイヨシノが楽しめるのはもう少し先だな。
四谷へ
四谷駅前近くには四谷見附跡の石垣が残されている。そろそろお腹もすいてきたので、お昼場所を探し、ラーメン屋でランチタイム(13:15-13:35)。
内藤新宿
その後新宿通りを西に進み、四谷四丁目の水道局の横に四谷大木戸跡碑・水道碑記がある。大木戸とは門番を置いた監視所であるが、かつてはここに立派な大木戸があったのだ。
近くには、新宿御苑の大木戸門がある。ところで、新宿御苑は江戸時代に内藤家の下屋敷跡があった。もともと甲州街道の最初の宿場は高井戸であったが、内藤家の下屋敷を返上して新たに宿場を作ったのが内藤新宿であった。ふだん何気なく新宿という地名を見ているが、裏にはこのような歴史があったのだ。またこの近くには内藤家の墓所もある太宗寺もある。ここの案内板でも「内藤新宿」について触れられている。
追分
14:30新宿三丁目交差点に到着。かつてここは青梅街道との分岐点(追分)で、あったことが、石碑等によってわかる。近くには「追分だんご」というだんご屋さんもある。それにしても今日はすごい人込みで写真をとるのも少し恥ずかしい。
その後今日は新宿でショッピングをするため、歩き旅はこれでおしまい。
慣らしとしては、これで十分。次回からはしっかり歩くことにしよう。
記録
総歩数:21,778歩
実際に歩いた距離:13.0km
訪れた宿場:内藤新宿
宿泊:なし
本日の行程
おわりに
ようやく甲州街道歩き旅が始まりましたが、いろいろ環境変化があった関係で、なかなか時間がとれず東海道歩き旅より長くかかりそうですが、ぽん太の散歩道と併用してアップしてゆきますので、末永くお付き合いください。
それでは、ごきげんよう。