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私小説


序章



孤独な人生を過ごしてきました。





これは周囲との関係性の問題ではありません。

私にも友人と呼べる人は手の指の数ぐらいは出来たと自負しております。

人には恵まれた人生でした。

なんの恩恵か、大きな石ころにひとたび転ぶと
小さくもあり大きくもある様々な手のひらが私を引っ張ってくれました。

しかし、どの手をとっても私の孤独は拭えませんでした。

手のひらを掴む私の腕はどこまでも冷たく在り続けたのです。

人に囲まれた孤独を生きるにあたり、

寂しさを埋める何かを諦めました。



私は私と向き合いました。

私の中には誰かが介入することもできません。

それを話そうにも面と向かって話すことも出来ません。

絶対に泣いてしまうから。

こころが貧弱でありながら、
涙は恥だと思う質なのです。

もしかしたらいくみには話せるのかもしれません。

似た寂しさを持っているように感じているから。

いくみは10代を共に過ごしたかけがえのない友人です。

いくみと話をしている時間は好きでした。
私の垣根を超え、唯一入り込んで来れた人でした。私が女子なら彼といることを選ぶに違いないです。

私にも好きな人はいました。

しかし、その存在に近づく程に

内にある人として生きる罪悪が足を引っ張りました。

これ以上はいくなとばかりにみえない足枷が私を留めるのです。





愛してる。と想う存在もいました。

自然体に振る舞えながらも人としての敬意を払い、気遣いながらもそれが苦ではく、嫌なところが愛おしく、共にいる時間が幸せに感じました。

しかし、私はそれらを遠ざけることにしました。

私は人と共に生きられる質ではなかったからです。

一緒には絶対にならないようにと言葉を使い、
いろを遠ざけました。

それは私を戒めるためのものであり、感情を捨てる覚悟を決めた言葉でした。

結局、愛してるや好きだなどと言えることは1度もありませんでした。

せめてもと、言葉にひとひらかふたひらほどの花弁を添えて終わらせました。




私という人間は文を通してでしか本音で話せません。

面と向かって話そうものなら涙が出そうになります。

私はいかに涙を流さないかと、他人の言葉を借りて陽気に喋ろうとしてしまう人間なのです。

言葉を真似ようと幼子ながらの学習能力により
自然と人の真似が得意となりました。




私は人が好きだと思っていました。

しかし、
私が好きなのは人間であって人ではありませんでした。

なんなら「人間に興味があり、人を愛そうとする私」が好きなだけかもしれません。

唯一本音で話せると思った人にもやはり、何かしら話せない影を持ち、それを語ることをしようとしませんでした。

他人には感覚の共有が出来ました。

1度きりの他人であればと内側をペラペラとさらけ出すことが出来たのです。

皮肉なことに唯一の救いは他人であったのです。


理解を得ようと歩み寄ろうとし内側を話せた人はどこまでも続かない1度きりの人間でした。



関係が続きそうというのは直感的に判断できました。

この人とは3年間の付き合いだと区別をしようものなら3年間で上手くピークに持って行けるような人間だったのです。


別れ際この言葉を言えばあの人は喜ぶだろうなと考えながら語る自分の醜悪さに嫌気がさしました……





これは、そんな私の人生を振り返る私小説です。




いつ続きが出るかは分かりません。
これを長く修正するやも知れません。
気が向いたら書きます。


登場人物
いくみ
 旧友、小中高一緒に過ごした友人。気弱な質だが自分の考えははっきりいう人







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